谷沢健一のニューアマチュアリズム - 日本学生野球憲章の改正

 大学院に通っていた1998年、ある文書を目にした。それは、「学生野球基準要項」...

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日本学生野球憲章の改正

 大学院に通っていた1998年、ある文書を目にした。それは、「学生野球基準要項」という文書だった。敗戦直後の1946年(昭和21年)12月21日に、日本学生野球協会が発足すると同時に制定されたものだった。なぜそんな「要項」が作成されたか、それにはそれなりの歴史がある。
 戦前、1910年代から20年代にかけて、野球ブームがおこり、それが過熱して、小学校から大学に至るまで、野球に関わる数多くの不祥事が生じた。そのため、政府は訓令を発して全国の学校野球を「統制」した。これが通称「野球統制令」である。この統制令を作成したのは、17人の官僚、教育者、学生野球関係者だが、そのうちの7人は現在、野球殿堂入りしている。(安部磯雄、桜井彌一郎、飛田穂洲、中野武二、橋戸信、平沼亮三、宮原清の各氏だが、東大、早大、慶大の3大学OBばかりなのが目をひく。)
 私は、自分の修士論文『21世紀に向けた日本におけるプロ野球球団経営の在り方』に「読売新聞社の狙いと成果」という章を立てた。その一部を引用しよう。
 『1920年代後半から日本野球は内容、人気とも黄金期を迎えていた。野球界内部の体制と社会的諸条件の成熟の然(しか)らしめるところであった。その中心は大学、中学野球(現在の高校野球)であり、大人気だったが、その反面、常に試合の運営や野球部の管理などの点で非アマチュア的非教育的傾向が問題となっていた。
 文部省は1932年(昭和7年)に至って学生野球の健全な発展を期待するという趣旨で、いわゆる「野球統制令」(鳩山一郎文部大臣)を発布した。この統制令は学生選手がプロチームと試合をすることを禁じた(1931年に学生選抜軍対米国大リーグ選抜軍の試合が、学生野球協会に利益を齎した)ため、1931年に次いで1934年(昭和9年)にも読売新聞社が招待した大リーグ選抜チームの相手となるべき日本チームに学生を加えることができなくなり、読売新聞社・正力松太郎社長は学生抜きに全日本チームの編成を余儀なくされた。正力氏は、日本における職業野球の設立を視野に入れるだけでなく、さらに販売の務台光雄氏などと協議し、大リーグ選抜チーム(ベーブルース、ルーゲーリックなどのスター選手が揃っていた)との対戦を、新聞発行部数拡大のまたとない好機と捉えたのであった。当時、読売新聞は発行部数30万部程(日本新聞年鑑1986年版)で、朝日新聞や毎日新聞に大きく水を空けられていた。そこで、部数拡大を目指して、ラジオ面や娯楽面も充実させて他社との差別化を図っていったのである。2年後の1936年(昭和11年)に、大リーグ選抜チームと対戦した全日本チームは大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)という名に変わって、7チームによる日本職業野球連盟が設立されたのである』。
 この時すでに、プロ野球=読売、アマ野球=朝日・毎日という勢力争いの構図が描かれたのだが、それはさておき、戦後、政府の指導が入る前に、急いで作成されたのが「学生野球基準要項」だった。その急造の要項を1950年に、改正して「日本学生野球憲章」ができた。以後、現在まで6度の改正を積み上げてきたが、2007年、特待生問題が生じた。これまでの大きな不祥事はプロとアマに関わるものだったが、特待生問題はアマだけの問題、それも甲子園大会に象徴される「純粋」なはずの高校野球全体を覆う大問題だった。その結果、根本的な検討が必要とされ、今回の改正になったというしだいである。
 その改正の重要点については、一般紙でもスポーツ紙でも取り上げられ、野球ファンならすでに理解しているだろう。また、新憲章そのもの(解説も含有されていて45ページものボリュームである)も、日本学生野球協会のホームページで読むことができるから、私がわざわざ紹介するまでもないだろう。
 むしろ、私が気になったのは、「野球統制令」(概略はウキペディアにも掲載されている)との類似である。例えば統制令では、高校生(当時は中等学校)に対して次のように要求している。
1.全国大会は3つだけ(全国中等学校優勝野球大会、選抜中等学校野球大会、明治神宮体育大会)。<今も甲子園(春と夏)と神宮大会である。増えたの国体だが、これは正式種目になっていない。>
2.地方大会と県大会は県体育団体が主催して、年1度ずつしか行えない。<現在では、年2回ずつに増えている。>
3.県体育団体の公認しなければ県外チームとは対戦できない。<今もそうだ。>
4.試合は土曜午後と休日だけに行う。<今もそうだ。>
5.入場料の徴収は文部省の公認がある場合か、県体育団体主催の大会だけである。<今もそうだ。>
6.入場料の収支・決算を監督官庁に報告しなければならない。<今もそうだ。>
7.留年した選手は出場できない。<今もそうだ。>
8.クラブチームへ参加できない。<今も、野球部員はそうだ。>
9.優勝旗、優勝牌以外の賞品をもらってはならない。<今も、ほぼそうだ。もっとも「記念品」はいろいろもらうこともある。>
10.選手を広告・宣伝に使ってはならない。<今もそうだ。ただし、学校案内のパンフレットには、違反と思われるものもある。>
11.文部省の承認のないプロ選手との試合は禁止する。<今もそうだ。というよりも、文科省や高野連は絶対に許可しないだろう。>
12.コーチ、審判が経費以外の金品を授受しない。<今もそうだ。だが、実際はどうだろうか。様々な噂を耳にするが。>
13.選手を理由とした学費・生活費を支給しない。<これが、今回の改正の目玉だ。学費は、1校あたり選手5人まで許される。>
13.当該学校に無関係の応援はしない。<今は許されている。甲子園の「友情応援」はむしろ美談として報道されている。>
14.応援の際には制服・制帽を着用する。<大学の応援団がなぜ学ラン着用なのか。じつは「統制令」が由来なのである。>
 このように列挙するとわかるように、学生野球はじつは80年前とほとんど変わっていないのである。今回の改正も細部の変更であり、根本的な改正ではない。なぜだろうか。それは「学生野球は教育の一環である」という理念は変わらないからだ。
 では、学生サッカーは教育の一環ではないのだろうか。プロサッカー選手は(そして元プロも)堂々と後輩の高校生と接し、あれこれとアドバイスをしている。学生ゴルフは教育の一環ではないのだろうか。高校生がプロゴルファーとして、1億円もの賞金を稼ぎ、商業PRに与して賞金以上の大金を手にしているが、国民はそれを賞賛している。
 朝日新聞(昨年8月13日付)に、私の敬愛する奥島先生(言うまでもないが、久々の非野球経験者の高野連会長である)の「品格を高める努力する」と題するインタビュー記事が掲載されていた。先生はおっしゃっている、「さらに品格を高める努力をしたい。優しくすることが教育ではないし、厳しくすることが教育でもない。組織が大きいから、全体が号令の下で『右向け右』となっていないか。みんなで深めて考えていく姿勢がもっと欲しい」と。改めて「その通りだ」と耳を傾けたくなった。
 (ところで、同じ記事の中に「(奥島先生は)日本学生野球協会審査室の委員として不祥事の処分を決めてきた。日本高校野球連盟では年間約1千件の不祥事を扱い、上申を判断する」とあった。私は驚いた。年間約1千件! 高校野球部員は約17万人いる。この不祥事が1件につき1人しか関与していないとしても、野球部員の170人に1人が不祥事を起こしていることになる。集団暴行事件等もあるだろうから、かりに1件につき2人が関与していたら85人に1人が・・・。かつて高校野球部員だった私は天を仰いで嘆息するだけである、「学生野球は教育の一環なのか・・・」と。)

日本野球事情―『野球のソムリエ』発刊に寄せて

 この度、5冊目の本を出版することになった。既に各書店には、立浪和義君の引退記念野球人生本と並んで平積みされているようだ。『谷沢健一の酒マッサージ』『プロ野球の演出者たち』『プロ野球の今を撃(う)つ』『硬論軟論』に次ぐものである。
 『野球のソムリエ』は昨年の9月中旬から、(株)総合企画の窪寺、三瓶、飯森の三氏による合計21時間に及ぶ粘り強い取材力が結晶したもので、今回の出版の運びとなった。一連の経緯は、“さらば2009年”のブログで触れて置いたので是非読んで頂きたいと思うが、当初は三人称で構成する予定だった。その後、編者・三瓶忠氏の強い希望があり、一人称で纏めることとなった。特に、お三方と構成や編集に議論を尽くしてアドバイスを頂いたYBC加藤部長には、真情込めて纏めてくれたことへ感謝の意を申し述べたい。
 私は本著のエピローグで以下のように記した。
『私は野球の裾野を拡大することにささやかな努力を傾けてきた。ここでは毎年必ず行うことだけを挙げてみよう。
 まず最年少の小学生にはティーボールを勧めることで、野球型球技の楽しさの体験を生みだそうとしてきたし、野球教室や谷沢旗大会でも小学生たちに接している。また、大学生の体育実技で、硬式野球の初体験者にも楽しさを体験させている。
 活動の中心になっているのは、全20万人の硬式野球選手のうち95%を占める19万人の学生野球選手が、満期退部や中途退部した後に、野球を断念しないで済むような場を小さいながらも作って維持してきた。
 また、職業野球を目指す選手たちを応援する職務にも関わり始めた。さらには、まだ不透明なので、ここに記すことはできないが、新たにNPB・OBの組織的な活動にも積極的に関わって行きたいとも考えている。
 他にもやりたいことはたくさんあるが、本書に記した実践の大半は、50歳を過ぎてからの事柄だ。やはり50歳を過ぎてから、座右の銘にしている「無敗而有敗(やぶるるなし、しかして、やぶるるあり)」を改めて観想するこのごろである』
 そこで本著の概要を紹介したい。第1には、プロ野球選手のセカンドキャリアについて記した。2003年から早稲田大学人間科学部通信教育課程(eスクール)がスタートした時に、早稲田大学とプロ野球選手会との仲介を取らせてもらった。eスクールは今日まで多くの受講生を生んで来ている。相撲界では数年前に引退したモンゴル出身の旭鷲山(現在はモンゴル国会議員)、田辺徳雄氏(元西武)は日本ティーボール協会理事長でもある吉村正教授のゼミ生である。現役選手では東出輝裕君(広島カープ)が、卒業に必要な124単位に挑んでいる。昨シーズン球場で会った時に聞いてみたら、「子供が生まれたばかりで、このところ休みがちですが続けて行きます」との事だった。小宮山悟君も現役中に修士課程を取得した。桑田真澄君も大学院に挑んでいる。
 第2は、スポーツビジネスの世界である。昨今興味を抱く学生が多い。第3は、クラブチームの世界を詳細に綴った。第4は、新興勢力の独立リーグの世界である。昨年の7月には、テキサスやロスの独立リーグの現状などを視察してきた(本部ログの米国野球事情で紹介)。
 5番目には、野球界の現状を記し、最後にはプロ野球解説者の一面を披露した。
 とにかく、「今まで誰もやらなかったこと」、「誰もやろうとしなかったこと」、「これからもずっと続くこと」を行うのが私の運命であると思って人生を楽しみたいと願っている。


横浜ベイスターズキャンプ―尾花新監督と筒香選手

 最後のキャンプ訪問はベイスターズとなった。諸事情で巡回できなかった東北楽天と日本ハム両球団については、オープン戦の中でじっくり拝見させて頂きたいと思う。
 私はこの1年以上の間、利き腕の左肩の激しい痛みがとれず(60肩?)、様々な治療を施したが一向に回復しなかった。昨年の8月中旬だったか、解説者仲間であり大学の後輩にもあたる松本匡史(元巨人)君から、横浜南共済病院の山田勝久顧問を紹介してもらった。山田先生はスポーツ障害(肩・肘・腰など)の専門医である。第一線を離れてもまだまだ健在で、ベイスターズのチームドクターも務めていらっしゃる。
 私は12月まで断続的に通院し、太腿の肉離れの村田修一内野手や、肘の点検の三浦大輔投手にも出くわした。ある日、ベイスターズの江川靖メディカル担当チーフが新入団選手を連れてやってきた。私は毎度のことだが、山田顧問の部屋で雑談に耽(ふけ)っていた。江川氏の話では、チームの成績が悪いこともあってか、全選手のメディカルチェックが義務付けられているらしい。江川氏は選手名簿を見ながら、あと何名が未受診だと動き回っていて、ゆっくり会話をする暇もなかった。そんな中で、ドラフト1位の筒香嘉智(つつごうよしとも)選手も挨拶にきた。高校通算69本塁打のパワーで、ハマのゴジラと異名を取ったスイッチヒッターである。身体の大きさが大いに目立ち、印象に残った。そんなわけで、ベイスターズの選手たちには、何かしら親近感を覚えている。
 21日の宜野湾ベイスターズキャンプは、亜熱帯地方特有の太陽が燦々と輝いていた。53歳の尾花高夫新監督が精力的に動いていた。監督の声に反応して、選手がきびきびした動きを見せている。
私「就任おめでとう」
私はすぐに、尾花監督が昨日、三重スリーアローズの服部広報のインタビューに応じてくれたことの御礼を述べた。三重の壁矢代表は、尾花監督にとってはPL学園先輩に当たる。
私「補強もしてもらえたようだね」
監督「野球はピッチャーですからね」
こちらの問いかけに即座に答えてくれるあたりは、いかにもクレバーな投手出身の監督らしい。
私「長時間、練習をやってるようだね」
監督「ほとんど6時頃までグランドにいますね。昨年は3時頃には宿舎に上がっていたようですが」
私「伸び盛りの選手が多いからね。鉄は熱いうちに、というわけだ。選手にはどんな指示を?」
監督「すべてのメニューの始まりはキャッチボール。キャッチボールをしっかりやるように、口酸っぱく言ってます」
 シート打撃が始まった。マウンドには三浦投手が登った。左打席に筒香選手が入った。いきなり外角いっぱいのストレートを大きな弧を描いてレフトフェンスを直撃した。柔軟なバットコントロールに、私は目を見張った。三塁守備に就くと、西武の中村選手よりも背丈がありながら、身のこなしが良い。その後の打撃練習でも尾花監督とはヤクルト球団仲間の若松氏が付きっきりでアドバイスもしていた。
 左中間、右中間を抜けて行く筒香選手の打球は、新人とは思えぬ光るものがあり、島田誠ヘッドコーチも左打者で育てると明言していた。しかし、日本人のスイッチヒッターで大型打者というのは松永浩美(阪急―ダイエー)氏以降、後に続く者がいないので、筒香君の右打席も見たかった。いささか残念だ。私の高校時代だったか、ヤンキースが黄金時代だったが、その中心打者ミッキー・マントルのスイッチによる左右の本塁打は豪快そのものだった。
 記者たちが話している声が聞こえた。
「今年は日産から出向していた球団役員が退陣したので、尾花監督もやりやすいでしょうね」。
そういえば22年会の集まり時に、大矢前監督が「親会社のTBSと日産の間に挟まれて苦労したよ」と言っていたのを思い出す。しかし、今後の球団経営は、JリーグのFC東京やメジャー球団に多くみられる、株の持ち合いによる経営方式が主流になって行くであろう。例えばダイヤモンドバックス(アリゾナ)がそうである。欧州のサッカー球団を見ても、ロシアの財閥などが積極的に運営に参加している。
 NPBも独立リーグも、今後も依然として経営の定まらぬ状況が続くだろう。とすれば、単独オーナーでは球団経営が厳しくても、共同オーナーでやり繰りすることも一つの方法である。その場合、人と人との絆を大事にし、情報の交換を頻繁にして、意志を十分に疎通させない限り、感情的な対立が生まれてしまう。
 以下に、私自身の自戒を記すが、個人にも組織にも行動と運営のスタイルがあり、それぞれ異なるものである。それなのに人間は、自分のスタイルが普通のスタイルだと思い込みがちだ。だが、どのスタイルもそれぞれ独自である。だから、自分のスタイルを理解させることが肝要であり、理解させる努力をしないでいて、相手の理解不足を非難するのは勝手な話だ。同時に、他者のスタイルを理解しようと努めずに、相手を非難することもまた勝手な話である。
 プロ野球界に限らず、スポーツ界は上意下達が罷り通る世界(言い換えると、地位がもの言う世界)であり、また年齢の上下も厳守しなければならないという不文律もある。私は何十年もこういう世界にいるから、それが身に染み込んでいる。非プロ野球界に長くいた人たちが、プロ野球界に入ってきた時、暗黙・不文律のルールとマナーをまず少しでも理解しないと、どうしても摩擦が生じてしまう。
 もしも、プロ野球(とプロ野球選手)のもっている価値(文化的な価値であれ、金銭的な価値であれ)を認めるのなら、暗黙・不文律のルールとマナーを理解した上で非難・批判をしてほしい。とくに、球団経営にあたる人たちとメディアの関係者に切に望みたいことである。

ドラゴンズキャンプ2―コンバートは成功するか

 前日のスワローズ対三星に続いて、今日はドラゴンズ対SKワイバーンズとの練習マッチを観戦した。SKは2000年に参入した球団で、親会社は通信、石油関連で成長を遂げる財閥・SK(鮮京グループ)である。沖縄本島でキャンプを張る韓国球団は4チームあるが、SKは1月19日から高知市で練習を積み、2月に入って沖縄へ移動してきた。
 チームの愛称のワイバーン(wyvern)=飛竜は架空の動物で、「激しい敵意・征服」を表すそうだ。同じ竜でも、中日は翼がないし、SKはあるという、日韓の竜対決である。
 打撃ゲージの後ろに、落合監督と杉下臨時コーチが主力の打撃練習を見ていた。明日のオープン戦はTV中継があり、私が解説を担当するので、挨拶に赴いた。
私「明日は宜しく」
落合監督「明日のメンバーは若手ばかりです。レギュラー級は出しません。今日のSK戦はフルメンバーですが」
今日は練習試合だが、明日は入場料を取る興行試合である。練習はレギューのフルメンバーで、興行は若手ばかりというのは、若手のプレーのほうが人気があって、レギュラーのプレーよりも入場料をとるに値するということなのだろうか。(これについては、落合監督だけでなく、相手の高田監督も同じであることが、翌日はっきりした。)明日の解説はどうやら若手選手を励ます言葉を連ねることになりそうだ。それはさておき、韓国プロ野球の話題に入った。
私「韓国は国際基準のボールを使用しているね」
監督「この練習マッチも、それぞれのチームの使用球でやるんですよ。韓国の投手が投げる時は自国の国際基準のボールを使いますが、何が国際基準か分かりません。加藤コミッショナーも国際基準のボールを使用したい意向のようですが、明確に宣言しているわけでなく、1つに統一することなど無理ですよ。国際基準とは、縫い目の高さなのか、皮革質なのか、大きさの上限を取るのか、一向に理解できませんね」
相変わらずの落合節である。
私「韓国の打者は日本ではなかなか通用しない。どうしてだろうか」
監督「ストライクゾーンがボール2個分高いんですよ」
落合監督はノックバットで私の膝頭の上を指し示した。
私「ほう、随分高いね。日本と韓国とは配球も違うしね。韓国は米国野球を手本にしているから、ストレートには滅法強い」
監督「確かにそれもそうですが、しかしストライクゾーンですね。昨年途中からSKに入団した門倉健(中日―巨人―横浜)が8勝したのも、フォークが決め手になりましたからね」
そんな話をしていると、SKのコーチ陣──芦沢裕二バッテリコーチや5月までの臨時コーチ・大橋穣内野守備走塁コーチ(阪急―中日)や新加入の関川浩一打撃コーチ(阪神―中日―楽天)などが挨拶にやってきた。彼らに聞いてみると他球団にも日本からのコーチが多いと言う。日本野球の細やかさと韓国野球の豪快さがうまくミックスされると、東アジアの野球地図も大きく塗り替えられるかも知れない。
落合監督に改めて今年の選手起用について聞いてみた。
監督「練習は自分で考えてやれと。それを解っている選手は使う。藤井も野本も解ってない。特に藤井は走塁ミスを繰り返しているのに、マシンを打ちに行こうとする。そんな選手は読谷(よみたん・2軍)に行ってもらう」
今年のキャンプは例年よりも落合監督との会話が多い。それをいつも不思議そうに記者やアナウンサーが見ている。私は何となく心の中でにやにやしたくなった。
ゲージから離れて、明日の中継担当の森脇アナと話した。
私「今年は大いに監督を取材するからね。采配の意図が理解できないと、解説が的外れになりかねないからね」
森脇アナ「私たちじゃ、なかなか答えてもらえませんので、谷沢さんにお願いするしかないですよ。後で、森繁和ヘッドコーチに明日の登板投手を聞いて下さい」
私「今から聞きに言ってくるよ」
アナウンサーの下準備はけっこう大変なもので、オープン戦の先発予定と登板予定の投手が事前に解れば、それだけ十分な(言い換えると、視聴者に満足してもらえるための)準備ができる。
 試合では、コンバート中のショート・荒木選手が2つのエラーをやってのけた。どちらも送球ミスであった。試合前に顔を合わせた時には「仕上がりは50%ですね」と言っていたが、その通りの結果で、試合後は首を傾げてやや深刻な表情をみせていた。落合監督はこのコンバートに自信をもっているようだが、二塁手・井端選手も不安を隠せないと洩らしているとのことだ。不安の底には、自分の肩の衰えのせいで荒木選手に迷惑をかけているという思いが強いのかも知れない。
 ほんとうは、荒木選手を追い抜く二塁手が表われればいいのだが、それは今のところ望めない。名手が表われると、その時はチームにとって大きなメリットなのだが、逆に後継者を作ることが難しい。なにしろ、当分の間=何年もの間、名手がそのポジションを独占するからだ。その間、優秀な控えなどは必要とされない。しかし、どんな名手も衰え始めると、急にそのポジションが大きな弱点のように見られがちだ。なにしろ、それまでのレベルがひじょうに高いからだ。だから、たとえ衰え始めたとはいえ、他のチームよりもレベルが高くても、そうは思えなくなるものだ。守備ならば、スコアラーも全盛時のイメージが強いので、つい安打性の当たりでも名手の失策に記録しかねない。これが名手の不幸である。(その点、長嶋茂雄という名手は、晩年の守備の際に、失策を安打に見せかけるのがうまかった。広岡達郎氏が嫌った一つが、そういうパフォーマンスだった。)
 翌日の中継は、スワローズ側も主力抜きで挑んだため、2時間の中継はコメントの材料が少なかった。試合に出場していないのだから、主力選手について話すこともできない。キャンプ中の取材も宝の持ち腐れになり、残念なことだ。とまどったのは、ドラゴンズに岩崎姓が2人(共に内野手)、松井姓が2人(両人とも新人)いて、すぐには見分けがつかなかったことである。練習の邪魔にならないようにしながら、1,2軍の選手全員をしっかり取材し、把握するには時間がなさ過ぎる。

 17日夕刻、再び沖縄に戻った。20日のオープン戦(D×S)の東海テレビ中継に備えて、浦添市のスワローズを取材した。昨季は終盤にじりじりと挽回し、最後には阪神を退けてCSに進出した。高田野球の真髄である機動力の発揮で、選手層の薄さを補い、館山投手らの獅子奮迅の活躍もあって、一昨年のBクラスの悔しさを晴らした。
 今年はその高田監督の3年目のシーズンを迎え、球団も監督の要望に沿って、キャンプ費用を約1億2千万円計上したという。それによってファームのキャンプ地を1軍の近隣におくことができ、キャンプ中に1、2軍の選手の入れ替えを頻繁に行える、それが狙いだった。
 例年、ファームは宮崎県西都市に約1カ月間滞在していた。今年は、13日までは沖縄本島南部の八重瀬町営東風平(こちんだ)球場を使用し、14日以降は西都に戻るという日程になった。ファイターズ2軍がこの球場を使用していたが、名護市の1軍と遠距離にあるため、目と鼻の先の国頭村(くにがみそん)の球場に移った。スワローズにとってはこれ幸いというわけで、今年から使用したのである。13日の紅白戦では、投打とも篩(ふるい)にかけられて、7選手が入れ替えになった。
 手薄な先発投手陣をはじめ、不安の多いスワローズだが、新人起用のうまい高田監督のことだ。思わぬ選手が2軍から登場するかも知れない。
 18日は韓国プロ野球の三星(サムソン)ライオンズとの練習試合が行われた。今年からサムソンには落合英二投手コーチと種田仁コーチが就任。2人ともドラゴンズ出身なので、話を聞いてみた。
私「キャンプは何時から」
種田コーチ「1月8日から始まって2ヶ月間です。1月はグアムでやってきました」
サムソン球団は秋季と2月は沖縄本島の恩納村(おんなそん)赤間ボールパークで、この数年キャンプを張っている。韓国の大財閥がオーナーだけに、キャンプ費用も桁が違うようだ。2004年からは宣銅烈氏(元中日・ソンドンヨル投手)を監督に迎え、今や常勝球団と言っていい。それで、つい下世話な質問をしてみた。
私「年俸はどのくらい?」
種田コーチ「契約金はありませんが、約1200万円です」
私「投手陣は揃っている?」
落合コーチ「先発は4人は居ますが、その後が不安ですね」。
 オープン試合は、スワローズがサムソンの4人の継投策に抑え込まれて、ノーヒット・ノーランに終わった。1ヶ月以上の練習量の差は如何ともしがたかった、と言うべきあろう。とはいえ、スワローズの明るい話題の一つは、阪神から藤本敦士内野手が加入したことだろう。川島慶三内野手の故障が長引くと聞いているだけに、その穴を十分に埋めるという期待が寄せられている。

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