谷沢健一のニューアマチュアリズム - オリックスキャンプ-新生岡田彰布監督と田口壮選手

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オリックスキャンプ-新生岡田彰布監督と田口壮選手

 那覇市でアパートや駐車場、コインランドリーの販売、沖縄料理「ゆうなみ」等を経営している知念正氏は、20年来の親友である。例年、沖縄滞在中は毎晩のようにお世話になっている。とりわけ、“ソウキそば”と“てびち”(豚足)は私の知る限りどの店より格別美味しい。余談だが、知念家の子供たちには、ビーチサッカーの代表になった若者もおり、ラモス監督が率いるメンバーにも選ばれている。サーフィンもプロ級である。
 知念さんとキャンプ地へ行く機会がある時には、できるだけ首脳陣や選手や解説者のそば近くへ伴うことで、料理のお礼代わりにしている。年々、お目も肥えてきて、「新井(阪神)はキャンプでは良かったのにシーズンでは違う打撃をしてましたね」というふうに、鋭いところを突くようになっている。
 この数日の沖縄は天候不順が続くが、知念氏に2月4日は宮古島がいいと勧められた。彼の予想はどの気象予報士よりも当たる。
 早朝の二番機で暖かい陽光射す宮古島に降り立った。収穫中のサトウキビ畑を抜けると市民球場にぶつかる。球場正面には故・仰木監督の石碑が立つ。ちょうど、選手たちも到着したばかりであった。直ぐに岡田監督とも顔を合わせた。
岡田「谷沢さん、早いですね。昨日は小宮山君も来てましたよ」
私「昨年、結果が出なかったチームは早めに回ることにしているんだ。その方が待遇が良くてね」と冗談を言うと、岡田監督もにこにこして、
岡田「最下位ですからやり易いですわ」と言いながらも足早にグランドに入って行った。
 若い選手が多いだけにきびきびとした声の良く出た練習が始まった。監督が変われば意識も変わることが多い。厳しい目でグランドに立つ岡田監督の下に行き話しかけた。
私「矢野捕手(阪神)が欲しかったんではないの」
岡田「あの頭脳は捨てがたいですね」
続いて、岡田氏の阪神論が始まった。いつもより饒舌で、言葉のテンポもいい。赤星選手の引退問題や今岡選手のロッテへのテスト生入団(3日に決定)など、話題は尽きなかった。
 これは、岡田監督の作戦だろう。同じ関西の地で、オリックスと阪神は人気の差が大きい。メディアの扱いもオリックス選手には冷たい。それで、敢えて阪神の話題をマクラにして、本題のオリックスへ目を向けさせる。例えばこうだ。
「岡田オリックスが、阪神久保田智之投手の獲得に動くことが分かった。(中略)オリックス先発陣は金子、岸田、山本、近藤、小松、平野ら若手が充実。対照的に抑え陣は質、量ともコマ不足で、阪神で働き場所を失いかけている鉄腕の存在は補強ポイントと合致する・・・」(日刊スポーツ)
「岡田監督は矢野について「もちろん興味は持ってる。興味というより(来季阪神で試合に全く出られなければ)ごっつい心配や」と話しているという。一方、オリックスの捕手事情は今季に限らず、近年はずっと不安要素を抱えている。今季は主戦の日高が・・・」(デイリースポーツ)
このあたりは、さすが年季の入った監督で、まさにメディアに対しても「監督道一筋」と言える。
 それから、岡田監督とブルペンに移動して、全投手(一軍)のピッチングを最後まで見ることとなった。
岡田「(昨年はWBCに選ばれながら1勝9敗の)小松を抑えにしたい」
私「加藤ではミスが多いか」
岡田「若い先発陣は揃っている。金子、近藤、山本に加え巨人から木佐貫が入った。木佐貫のボールはどう思います?」
私「確かに球のキレはいい。ただ精神的な繊細さが解決できないとね」
しかし、二軍選手にも常に目をかけている岡田監督である。シーズン開始後、誰とは言わないが、思いがけない若手が活躍するような気がする。
 “打撃練習が始まります”という場内アナウンスが聞こえてきた。報道関係者用のハウスで昼食を取りながら、東中のパリーグ担当記者に監督の話を伝達した後、本球場で打撃陣の取材をした。中でも目立ったのは、メジャー帰りの田口選手の打ち込みだった。
私「何年ぶりになるかなあ、9年か?」
田口「ええ。メンバーも変わりましたね。日高君が入団したのは憶えていますが」
私「2つのリング(ワールドシリーズ2度の制覇の指輪)は立派だね」
キャンプ取材用の帽子にサインを貰う際の会話はこうだった。
私「今、少年野球の大会を主催していてね。その賞品にこれ(サイン入り帽子)を出したいんだ」
田口「僕は9歳まで松戸市に住んでいたんですよ。ヤザワスポーツ店も行きました」
私「へー、それは知らなかった。ご贔屓、ありがとう。今は閉めてしまったけど、これも縁だねー」
帽子へのサインは、各球団1人に限られるが、オリックスは田口選手にお願いしてほんとうによかったと思った。

田口選手のサイン入り帽子

 それにしても、岡田監督や球団スタッフは暖かく迎えてくれた。そのことに感謝を感じつつ、宮古島を後にした。
(次の日に訃報が入った。期待されていた小瀬選手が突然亡くなった。心から冥福をお祈りたい。)

千葉ロッテキャンプー西村徳文監督と山口良治氏

西村徳文監督と山口良治氏

2月3日、早朝から那覇は雨。8時半の便に乗り込んだ私はかなり揺れるのを覚悟していたが、飛行帯では燦々と日の光が降り注ぎ、ホッとした気分が胸に広がる。予報と違い、石垣島は晴れて快適な日和、私は今年も晴れ男のラベルを剥がさなくてもいいようだ。キャンプ地訪問という2年越しの約束を果たす安堵感と、西村新監督への期待感を抱きながら空港におりた。
 現役時代、私は宮崎県串間市で6年間のキャンプを過ごした。当時、西村監督は地元福島高の野球部員であり、中日キャンプを見に来たという。その話を直接、聞いたことがある。西村監督は、メディアの取材にも対しても常に誠実であり、記者たちからの好感度が高い。野球ファンなら誰でも知っているように、選手時代は俊足好打のスイッチヒッターとして玄人好みの堅実な活躍ぶりだったし、コーチ時代も監督の野球スタイルを最も理解していた人物のはずだ。
 ウォーミングアップが始まると、ネット裏へ西村監督自身が挨拶に見えられた。その傍らにいたのは、山口良治(よしはる)氏だった。氏は西村監督と長年、親交を結んでいる縁で、昨夜、選手たちに90分に及ぶ講演をしたという。私も山口氏にお会いするのは久しぶりだった。
 15年程前に「大阪ABC会」というアマチュアスポーツの指導者が集まる会に呼ばれて、その時に懇談した。山口氏は、広く知られているように、高校ラグビー界有数の指導者で、伏見工を全国制覇に導いた監督である。映画・TVドラマの「スクール・ウォーズ」のモデルとなった人で、無名の公立高校で、大八木淳史氏や平尾誠二氏を育てた。愛称は「泣き虫先生」と呼ばれ、その体当たりの指導は感動を呼んだ。私の息子が中学からラグビーを始めたのも、このドラマに影響されたからである。
 さて、再生に賭ける新監督の指導ぶりをとくと拝見すべく、山口氏と並んで練習を注視することとなった。
山口氏「今日、早朝の散歩から付き合いましてね。選手が出てくるのを観察していましたら、モグラのような格好で起きてくるんですよ。朝からシャンとしてなければチーム作りは出来ません」
谷沢「バレンタインの時代は散歩なんて無かったと思いますからね。巨人でも選手会から朝の散歩は辞めて欲しいと要求があったそうですが、伊原コーチが一喝したと聞いています」
山口氏「ウォーミングアップが長いですね。私だったら即走らせますよ。30分経っても、まだ動かない(体操・ストレッチ)なんて信じられません」
そこへ金森栄治氏が挨拶にやってきた。昨年までの3年間、独立リーグ石川球団で監督を務めて、今年からロッテの打撃コーチである。
山口氏「金森君、いいかげん動き出したら」
金森コーチ「昔と違って今は、選手からこうして欲しいと言ってきまして、コーチが考える通りにならないですね」
 練習メニューはベースランニングに移った。
山口氏「あれで真剣に走っているんですか」
金森コーチ「私も西武時代、このベースランニングで何度も肉離れをやりました。選手もそれを警戒しているのでしょう」
金森コーチがグランドに下りて行ったので、また二人の会話に戻った。
谷沢「ベーランの様子で、チームの状態が分かりますよ」
山口氏「私は選手と向き合い、命がけで指導しましたから、泣きもしました。とにかくチーム作りは大変な作業です。ラグビーでは、故・大西鐡之祐先生(早大監督)に師事しました。大西先生には、ONE FOR ALL,ALL FOR ONE(一人は全ての人のために、全ての人は一人のために)と教えられました。自分たちの主張ばかりではチームはまとまりません」
山口氏は、私の肩を叩くような仕草をして「選手とは触れ合いが大事なんです」と言って、球場を後にした。私も何か清々しい気持ちで見送った。
 それにしても、山口氏の考え方と金森コーチのやんわりとした弁明とは、人柄の違いだけでなく、ラグビーと野球の違いを示しているように、私には思われた。肉弾戦という表現がふさわしいラグビーは、試合開始早々から身体能力のギアをトップに入れる必要があるのだろう。だから、徐々に身体を温め筋肉をほぐし…というようなアップではまどろっこしい。だが、野球は筋肉の使い方がかなり異なる。例えば全力で走るのは、野球なら打者と走者のときか、外野守備の時ぐらいだ。だから、今はアップは緩やかに行うのが通常だ。
 それが山口氏には真剣さが不足しているように見えたのかも知れない。しかし、この山口氏のような血が躍るような熱気を、西村監督が選手に望んでいるのかも知れない。
 昨年は選手にも球団スタッフにもいささか一体感が失われているように見えた千葉ロッテである。新監督の掲げたスローガンが「和」であるのもうなずける。同時に「和」だけでは勝てないことも、西村監督は重々承知しているはずだ。それを見据えて、硬軟両刀を使い分けるのではないのだろうか。
 ただ確実に言えるのは、西村・金森・山口の3氏に共通しているのは、真摯さと粘りである。今年の千葉ロッテの活躍も期待できるが、真摯さと粘りが力を発揮する2年目・3年目の飛躍はもっと楽しみである。
 この話の最中に、旧知の上川誠二コーチもわざわざ挨拶に来てくれたが、彼もグランドで選手の指導に忙しいし、私も話に忙しく、落ち着いた話を聞くことができなかったのは残念だった。

2010年キャンプイン─熱意30度差

 2月2日、午後4時だと言うのに、まだ陽光のまぶしい那覇空港に降り立った。今年もキャンプ地巡りが始まる。沖縄には、7日に宮崎へ移動するまでの5日間滞在するが、どの球団に取材に行くかは決めずに来た。例年同行する東中の小原記者から「デスク業務多忙で同行できない」との連絡があり、いくらか寂しさもあるが、とりあえず石垣島の天気予報を確かめると、本島よりも雨天の確率が小さい。これ幸いと、石垣島へのフライトをリザーブした。というのは、昨年、日程の都合で千葉ロッテのキャンプに伺えず、失礼をしたので、今年は必ず行こうと考えていたからだ。
 沖縄には9球団に加えて韓国プロ野球も4球団がキャンプイン。この経済効果は何億円?だろうか。私の現役時代は広島と日本ハムしか沖縄キャンプは行っていない。2月の沖縄は雨が多いという理由で、この2球団以外からは敬遠されていた。我が中日は近藤貞雄、山内一弘両監督の時に、石垣島でキャンプを張ったが、案の定、雨で苦しんだ。屋内練習場も完備されていなかったので、雨天の日は学校の体育館を借りて凌ぐしかなかった。だが、今や施設も整って、来春からは、巨人も加わる(前半沖縄、後半宮崎)。
 空港に着くなり、3月完成予定の新球場を観てきた。車で5分とも掛らない、そこは、1969年、大学選抜軍のメンバーとして、アジア大会(台湾で開催)へ遠征する途中に、沖縄(まだ復帰前で、パスポートの必要な「外国」だった)に立ち寄り、沖縄社会人選抜チームと対戦した想い出の場所、奥武山(おうのやま)球場である。

奥武山(おうのやま)球場

 現在はモノレールが空港から首里城まで架けられて、その沿線上の奥武山公園野球場駅と壺川駅の中間地点に新球場は位置している。球場正面にタクシーを止め、運転手さんには暫く待ってもらうことにして、入ろうとするとガードマンに制止された。見学許可証がないとダメだと拒否されたのである。当然といえば当然だ。
 ただ、断られてもすぐに諦めないのが私のクセである(これが行政や野球連盟からは「短所」だと忌避される私の「長所」だ)。球場を取り囲む公園内の裏山に登っていき、最適の場所を見つけて写真を撮った。沖縄では初のナイター設備を有する球場である。6月末の横浜対ヤクルト戦が「こけら落とし」として予定されている。収容人員は3万人程だろうか、内野にはシートが被せてあったが、外野一面に広がる緑の天然芝が眩かった。一塁側スタンド後方には建築中の円形の屋内練習場も見えた。
 今、沖縄は普天間基地移設問題で揺れ動いているが、この新球場を見ていると、時代の新たなうねりを何かしら感じずにはいられなかった。政治と違ってスポーツはいいもんだというのが、世間の人たちの感じ方だろうが、スポーツの世界もまた大小の政治力が競い合っている。相撲もそうだ。日本相撲協会の昨今のニュースには、相撲ファンである私も残念だと思うことが多いが、それと同時に、新たなうねりもはっきり感じ取れる。私は、運営の実務も引退した力士=親方が行っているということにひそかに敬意を払ってきた。企業・企業人はあくまでタニマチとして資金提供だけで、力士と親方を支配しようとしていない。だから、相撲界は力士と親方が中心となって支えてきた。財団法人であることの強みである。
 だが、プロ野球はそうでない。選手や監督は、球団=企業に雇用され、最後は解雇される人間である。野球界全体について考える動機が生じにくい。だから、経営・運営について学ぶ契機も小さい。球団側=企業側も選手や監督が経営・運営に無知であることを喜ぶ。そうでないと、運営・経営にあたっている人間の誇り(=俺たちは運営・経営の専門家だぜ)が傷つくからだろう。
 例えば、今、日本プロ野球名球会にも時代の新たなうねりが押し寄せつつある。だが、「名球会の運営は事務員や専門家に任せればいい」と言う会員が少なくない。考えてみれば、プロ野球選手は、あまりにも恵まれ過ぎていたのだろう。中学・高校(大学・企業)そしてプロ、どこででも試合の運営はすべて周りの人たちがお膳立てしてくれた。だから、引退後も細かいこと・面倒なこと(じつはたいして面倒ではないのだが)は他人任せにしようという怠惰な習性が出来上がっているのだろう。だが、試合とプレーに使った頭と心を運営事務にも使えばいいだけのことである。
 おっと、話がいささか逸れてしまった。とにかく、そんな時代の新しいうねりを感じた。そのきっかけは、羽田を飛び立つ時、ある家族連れが私に声を掛けてきたことだった。
「谷沢さんですね。私ら日本ハムのファンで、北海道の旭川から沖縄キャンプに応援に向かうところです」
私「ほー、旭川ですか。今年は雪が多いのでしょう?」
日ハムファン「雪下ろしが大変です。でもファイターズが勇気を与えてくれています。有難いことです」
私「今年もファイターズは優勝第一候補だと思いますよ」
そう答えると、彼らは私に手を大きく振ってニコニコと搭乗して行った。その姿が脳裏に残ったが、気温マイナス4度の地から26度の地へ向かうファン(それもパリーグ)がいるというのも、時代の新しいうねりでなくて、なんであろうか。

娘からの手紙

 次女の結婚披露宴では、彼女の「両親への手紙」まで披露された。親バカの誹(そし)りを免れないが、これまで次女と私ども夫婦に暖かく交わってくださった方々への感謝をこめて、ここに披露したい。
「パパ、ママ今日まで私を育ててくれて本当にありがとうございました。
 30歳を越えても甘えてばかりで、困ったらいつでも皆の手を借りてばかりの私を嫁に出す不安はとても大きいと思います。これまで私たち家族を支えて下さったパパとママの友人も同じ想いのことと思います。小さい頃はもっと一緒にいて欲しいと、寂しいと思う時期もありましたが、常に一緒にいなくても深い愛を受けていたと成長するにつれて理解でき、本当にパパとママの子供に生まれてくることができて幸せに感じています。
 今日まで沢山心配かけてきたけど、今日、私はこうして宏明さんと結婚式を挙げることができました。ここまで辿りつくにもやはり色々な方のご協力を得られたこと感謝しています。
 パパとは去年までの8年間、二人で東京生活を共にしてきて、私は一つのことしかできなくて家のことが疎かになってばかりでごめんなさい。ご飯作ってもらったり、洗濯もしてもらったり、国家試験を控えて毎晩の様にファミレスに勉強しに行って帰ると、布団をひいておいてくれたり・・・してもらったことばかりを思い出します。本当にバチ当たりな娘で申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです。
 パパは仕事を詰め込み過ぎて、無理をしてしまうことが多々あるので、とても心配です。少しはセーブして休憩を入れながらも、これからもプロとアマの架け橋になるよう、夢を追い続けて頑張って下さい。野球に対する情熱の強さ、日々の努力、継続を力に変えていく姿、本当に尊敬しています。私の自慢の最高の父親です。
 ママは口には出さないけど一番私を理解していてくれて、大事な時には気にしてない様なフリをして陰ながら見守ってくれていました。パパのサポートをしながら兄妹3人育ててくれて、グチ一つ言わず常にパパをたて、本当に大変だったと思います。皆バラバラに生活していても家族の気持ちが一つにまとまっていたのはママの力です。ママからこれから教わりたいことが沢山あるので、懲りずに力をかして下さい。人よりとてもタフでパワフルではありますが、いつまでも若くはないので少しは自分をいたわって下さいね。そして辛いときはいつでも私を呼んで下さい。
 これからはパパとママのように、お互いを尊敬し支えあって温かい家庭を目標にして宏明さんと力を合わせて頑張っていきます。これからも沢山迷惑をかけると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
 そして宏明さんのお父さん、お母さん、初めてお会いした時から暖かく迎えて下さり、優しいお言葉をいただき本当に嬉しかったです。何も出来ないふつつかな嫁ですが、これからどうかよろしくお願い致します。」

 新年も明けた1月9日、次女・京子が広島へ嫁いだ。グランビィア広島での披露宴は神田康秋氏(テレビ新広島ではプロ野球ニュースや野球中継をご一緒させて頂いた)が務めてくれた。広島カープが生んだ名捕手・達川光男さんも出席して会を大いに盛り上げてくれたことは大変有難かった。祝電も名球会の金田さんや広島新監督の野村謙二郎氏、日本ハムの二岡智宏選手(京子が心を込めて、リハビリのサポートをしていた)らから心温まるメッセージが届いた。
 2010年最初のブログは、沢山駆け付けてくれた名古屋や山口の友人や、嫁ぐ先の広島の皆さんへの感謝の気持も含めて、式宴当日の私の挨拶をここに載せたい。
『私達夫婦の3人の子供たちは全て私の遠征中に名古屋で誕生しました。長男は広島カープとの試合中でした。延長15回表、私の放った三塁打をきっかけに決勝点が入り、6対5で勝った記憶は忘れません。長女は遠征日でしたので先生が陣痛を早めにしてくれて、見届けてからの出発でした。京子が誕生したのは長崎での試合が終わって宿舎に連絡が入りました。「腸閉そくで近隣の病院に入院した。危ないかも知れない。緊急に手術を要するかもしれない」と伝えられました。それから心配で一晩中寝られなかったのを記憶しています。
 小学生の頃です。日曜日の夕刻、京子は野球のユニフォーム姿で帰ってきました。私は即、「何だ!女の子がユニフォーム何か着て!すぐに返してこい!」と怒鳴ったのです。私に「女の子が・・」という意固地な所があったのでしょう。それ以来、勿論野球から遠ざかり、バレーボールに熱中し出したのです。これには、きっかけがありました。東洋の魔女、中村昌枝(旧姓河西)さんとの食事に京子も同行させました。余りにも「中村さんと会いたい」と言うものですから仕方なくです。中村さんは、私が広島市民球場で2000本安打を達成した時、応援に来て激励してくれた、そんな優しい人間味溢れる方です。その食事の時に「東京オリンピックの金メダル」を持参して京子の胸に掛けてくれました。この強烈な出会いが、中学からバレーボールの道へ、それも最強の私立文京中学へ進み、高校も縁あって三田尻女子高(現・誠英)に進ませました。そして、日本体育大学です。身長も思った以上に伸びず、実力も無いのに正に親バカです。夢や期待を負わせ過ぎたようです。しかし、彼女は貴重な経験を掴んだと思います。世界一、日本一の選手やトップクラスの指導者と共に過ごせたのです。 
「獅子の子落とし」と言う言葉が浮かびます。獅子は子を生むと、これを千尋の谷に投げ込み、生き残ったものばかりを養育するという言い伝えがあります。自分の子を苦難の環境に置いて、その器量をためす。という親だったかも知れません。彼女は、本日こうして広島まで来てくれる恩師や友を得ました。
 結婚の話は昨年の春頃に、京子から私にだけ「一度会ってほしい」と言ってきました。同じバレー仲間でした。食事をして感じたのは、真面目で誠実で優しい青年でした。
 日体大を卒業して2年ほど高校教師を務めていましたが、一念発起したのか柔道整復師の国家試験をパスしてからは、私の現役時代の十八番であった日本酒マッサージを取り入れてからお客さんも増えていったようです。しかし、三十路も過ぎ、女性は縁あれば結婚して子供を授かり、豊かな人生を切り開いて良識のある母親になって欲しい、その上で仕事も考えたらと一応理解を示しアドバイスもしてやったつもりです。ところが、家内は「家のことは何も出来ないのに相手に失礼だ」と暫く会うことも拒否していました。二人からも再三、両親が揃った所で話をしたい旨を要求してきました。やっと家内も宏明君に会って話も聞く意向を示したのですが、いきなり家内は「宏明君!京子は家庭のことは何も出来ませんよ。それでも良いんですか。」「苦労するのは宏明君ですよ」。宏明君は「京子さんの作った焼きうどんは美味しいです。それで十分です」。家内は納得したのかどうか分かりませんが、その後は、8月30日の結納まで慌ただしく推移して行きました。神田さんに司会をお願いしたのもその頃だったと思います。
 最後に二人には3つのことを告げて終わりとします。
1、 結婚とは両家だけでなく、このように多くの方々に支えられて結ばれるものであり、その感謝の気持ちを一生忘れることなく、皆さんとの絆を大事にして欲しい。
2、 今日、我が娘の花嫁姿を見て、悲しさ・寂しさは凡そ20%位で、ホッとした気分が80%位だと嘘偽りのない実感でございます。「結婚披露宴では、花嫁はあくまでもおしとやかに行動し、食事も控え目にする」というような基本的パターンを見事に崩してくれました。花婿の宏明君には色々と苦労があると思いますが、我儘な京子の人間性を理解した上で、仲良く暮らして下さることを心からお願い致します。
3、3つ目は私からの御礼です。ご列席の皆々様には、今後とも宏明君と京子にあたたかいご声援をお送り下さいますよう、この場をお借りしてお願い申し上げます。』
 式後は広島名物のお好み焼き「長楽」(中日ファンの店主)に20人程で伺い、その味を満喫し、翌日は宮島(厳島神社)にも参拝し、結婚式に加えて楽しい旅になった。

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