谷沢健一のニューアマチュアリズム - ・・・ふと思うこと004

 少子化の時代を迎えて久しくなったが、スポーツ各界の心ある人たちはひそかに憂慮し...

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・・・ふと思うこと004

 少子化の時代を迎えて久しくなったが、スポーツ各界の心ある人たちはひそかに憂慮している。それは、子どもたちのスポーツ離れと各競技への分散である。

 前者については、昔に比べて、子どもたちが戸外でのびのびと遊び回る環境が失われ、室内(自宅だけでなく塾など)に閉じこもることが多くなったと言われており、多くのおとなたちがそれを実感しているだろう。

 後者については、一部のスポーツ関係者が痛感している。かつては、子どもたちが行っていた競技は野球をはじめ限られた数だったが、現在では中学生段階でもゴルフ、体操、フェンシング、スノーボード等々、様々な競技が子どもたちに好まれている。子どもの数が減り、その一方で競技の数が増えれば、一競技当たりの人数が減少するのは当然である。

 スポーツ界全体としては、スポーツ人口の比率が高まるのは好ましい傾向ではあるが、野球という一競技に限れば、望ましいとはあまりいえない。私にしても、野球人の一人として、了見が狭いかも知れないが、やはり最もファンの多い野球型スポーツの裾野が狭まるのは残念でしかたがない。

 柏市は、いわずと知れた柏レイソルの地元だ。サッカー少年少女が増加するのは当然である。しかし、だからといって、野球少年少女が減少するのに手を拱(こまね)いて傍観しているのは情けないと常々危惧していた。YBCのこの5年間の活動の中で、徐々にかつ確実に柏市との関係も密になってきており、もっとも底辺というべき小学生にスポーツそして野球型競技の楽しさを伝えたいと思っていた。

 たまたま、柏市地域づくり推進部の高橋直資課長と松山正史副参事との懇談したとき、小学生向きの野球型競技としてティーボールの話をした。高橋課長は、ティーボールはまだ一般に馴染みが薄いから、初めは講習会のような形が良いのではないかと言う。その通りだと私も思って、6月に柏市役所を訪問した折りに、小冊子「ティーボール入門」を進呈しておいた。

 それが結実して、夏休みも僅かとなった27日、柏市主催「第1回 柏市ティーボール教室」が実施された。これはYBCが創設以来ずっと目的にしてきた地域貢献の一つであり、野球教室の最年少版といっていい。さいわい、柏市が主催者として事を進めてくれたお陰で、YBCは脇役ですんで大いに助かった。柏市では広報部などもサポートしてくれた。

 松山副参事は、全国ティーボール大会が西武ドームで行われた8月7日、わざわざ見学に足を運んでくれた。それで、ティーボールが地域づくりや児童の健全な育成に寄与できると判断されたに違いない。(興味のある方は、NPO法人日本ティーボール協会のHPを参照していただきたい。)

 松山氏はかつて教育委員会で仕事をしていたそうで、小中学校の事情に明るい。その関わりで、この企画の呼びかけに最初に手を挙げてくれたのが、柏市立第六小学校の馬場秀樹校長だった。同校にはティーボール用具が3セットもあり、3〜4年生の体育の必須競技として導入を決めたが、精通している教諭がいないのだという。

 その馬場校長は、当日8時半、すでにトレーニングウエア―姿でお待ちだった。用意周到である。YBCからは久保田監督、川村主将、山賀・平野両副主将、新沼麗子マネ、谷澤副部長が参加して、子どもたちと保護者の皆さんに楽しさをアピールしてくれた。夏休み最後の週末だから、各種の行事と重なったり、宿題のやり残しを片付けたりで、親子ともども忙しいせいか、参加者は約30名で、少し寂しい数だったが、とにかく第一回目を開催できたのは意義があるだろう。回を追うごとに参加者が増えるのは、谷沢旗争奪少年野球大会がそうであるように、いかにもYBCらしい。


ティーボール教室
まずはティーボールのルール説明

ティーボール教室
久保田監督のバッティング指導
ティーボール教室
子供達も真剣に取り組んでくれました。
ティーボール教室
馬場校長の華麗なバッティング
ティーボール教室
最後は全員で写真撮影


 ティーボールといえば、2008年に日本ティーボール協会の事務局から「2010年の千葉国体で、ティーボールが公開競技になったので、谷沢さんに是非とも協力を」という依頼があった。そのつもりでいたら、しばらくして、「国体は当協会ではなく、千葉県ティーボール連盟が取り仕切る。だが、同連盟は何年もの間、活動らしい活動をしていないというので、もし谷沢さんに協力の要請があったら是非とも引き受けてほしい」という連絡がきた。そうなのかと思って、やはりそのつもりでいたが、そのまま国体は終わってしまった。

 あとで聞かされた話では、千葉県ティーボール連盟はもはや組織の態をなしていないが、一応は社会人野球の日本野球連盟の傘下なので、日本野球連盟に所属する千葉県野球連盟や印西市体育協会が運営に当たったそうだ。我がYBCフェニーズも千葉県野球連盟に加盟しているが、そのあたりの事情は何が何なのか、その時も今もよくわからない。

 ティーボールは1988年に国際野球連盟と国際ソフトボール連盟によって考案された。その5年後の1993年に日本ティーボール協会が発足したとき、関係者に乞われて私は深くも考えずに役員の一人になった。野球型競技の底辺拡大という大義にひかれたからである。会長は海部俊樹元首相だった(現在もそうである)。名称からして当然、日本のティーボールを総括する組織だと思っていたが、あとで聞いた話では、日本野球連盟に関わる人たちの別組織もあるという。つまり、ティーボール界は二派に分裂していたのである。

 こういうことは、ティーボールに限らず、アマチュアスポーツ界ではそう珍しいことではないらしい。プロ野球も、1950年のセパ分裂や、近年では例の近鉄球団の消滅と楽天球団の誕生を巡る大騒動があったのだから、大きな口は叩けないが、それでもセパ両リーグの上部組織(日本野球機構)ができていて、最低限の機能は発揮されている。

 別に統一組織がなくても、野球型競技の底辺が拡大することはいいことだから、千葉県ティーボール連盟が(それなりの予算がおりる国体のような大会だけでなく)常時、活動してくれることを切望している。大人たちの思わくや面子などはどうでもいい。子どもたちが野球型競技に興味を抱き、さらにすすんでゲームを楽しんでくれれば、それで十分である。






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・・・ふと思うこと003


 3月22日、読売巨人軍と東京大学硬式野球部の交流戦が行われる予定だった。プロ野球そのものの地盤沈下がゆっくり始まっている中で、球界のリーダーであると自他ともに認めるジャイアンツと清武英利GMが、アマチュア野球にこれまで以上に目を注いでくれるようになったお陰である。

 しかし、周知のように3.11の震災で、交流戦は中止になった。当然のこととはいえ、やはり残念至極でもあった。プロアマの断絶がどんどん解消されている昨今の風潮とはいえ、金銭に関わるプロを教育に関わる大学野球が(建前だけかも知れないが)忌避する土壌は十分に開拓されているとはいえない。その中での巨人ー東大戦だから、ひじょうに有意義だと喜んでいた私はがっかりした。

 ところが、その企画が復活し、8月23日、交流戦が実現した。直前の数日は降雨だったので、当日の天候が心配されたが、首都圏だけが夏日に恵まれた。内心では、この異変は(このブログを長く読んでくださっている方にはおわかりのように)まさに「谷沢晴れ」だと思ったが、それを口に出しても失笑を買うだけだろうから、黙って我が天気運にほくそ笑むだけにした。

試合開始は16時30分。前夜、コトケンこと琴賀岡主務(彼は高校まで剣道一筋だったのに、なぜか大学で野球部に来た。東大野球部は門戸が広い!)から連絡があったので、一誠寮発のバスに便乗して、部員諸君と同行することにした。

12時過ぎに寮に着くと、山形合宿で真っ黒に日焼けした麒麟こと高山久成・ウックンこと内海翔太の両君と久しぶりに対面。私がわざと直立不動で「お帰りなさい。今日からまた宜しく」と挨拶すると、笑ってくれた。これは先日来、私がプロ野球ニュースのスタッフたちに受けた戯れだったので、ついやってしまった。

御手洗監督から合宿の話をいろいろとお聞きしながら、Tシャツと白のユニフォームに着替えた。このTシャツは、嬉しいことにこの6月に4年生から贈られたもので、「TOKYO・41」と刺繍の入っている。その装いでバスに乗り込んだ。東大野球部のバス移動は、たとえ何時間であっても、私語禁止が不文律である。全員、黙然(もくねん)としているが、特に今日は車内に緊張感が張りつめている。

ジャイアンツ球場は、イースタンリーグの対東北楽天戦の最中で、観客も大勢だった。つまり、ジャイアンツは変則ダブルヘッダーとなる。緊迫した試合が終わるまで、我々は2年前に新装なった室内練習場で打撃練習を開始。久しぶりだったせいか、部員たちからティー打撃指導の要請が相次いだ。

試合中はベンチの隅でスコアを付けながら静観した。途中から東大には慣れないナイトゲームとなって守備ミスなども出たが、プロと直に交流するのはさすがに様々な点で感じるところがあっただろう。帰り際にお会いした橋本OB会長も同様の言葉を発しておられた。

スコアを付けながら静観


結果は0対11の完敗。しかし、5回までは先発・鈴木翔太君が隠善選手の2ランだけに抑えた。制球・テンポがともに良く、ディフェンスにもリズムが生まれて、内海君の2度の好プレー、高山君のスライディングキャッチ、タッチーこと舘洋平君は横っ飛びでライナーを好捕し、鈴木投手を助けた。しかし、惜しいかな、6回から登板したゴルフィンこと平泉豪祐君が乱調で、試合はワンサイドになった。打撃も低調(これは私にも責任がある)で、育成選手の左腕・岸敬介投手に7イニング1安打と完璧に抑え込まれた。

太田

巨人のスタメンは、一番松本、二番隠善、三番大田、四番中井、五番田中、六番山本、七番鬼屋敷、八番福元、九番土井。育成選手も2名いたが、1軍レベルの選手も複数加わっていた。けっして「たかが東大ごとき」とはなめてかかることなく、真剣勝負に徹してくれたことは、実にありがたかった。

スコアボード

ジャイアンツの方々は、いつも(何しろYBCの創設時のトライアウト以来、何度もお世話になっているのだ)事細かく気を配ってくださる。営業企画部・青木丈典氏が終始いろいろと案内・誘導してくれた。川相二軍監督、吉原孝介育成チーフコーチ、上田育成コーチに感謝の御礼に伺うと「恐縮です」とおっしゃるが、恐縮はこちらの方である。スポーツ紙にも掲載されている両チーム揃っての記念写真を撮影したが、この時には、史上初といっていいこの交流戦の実現に尽力できたことにいささかの感慨を味わった。

・・ふと思うこと002

 8月19日、「気仙沼少年野球チーム」が柏市にやって来た。引率の菅原監督以下保護者の方々を含めると総勢50名を超える数である。バスに7時間も揺られての来柏である。到着してすぐに宿泊先を提供してくれた麗澤大学の研修寮に入ったが、そこで休む間もなく、「東日本大震災を支援する市民の会」の懇親会の席に臨んでくれた。

 私も6月に気仙沼へ行ったYBCのメンバーとともに出席した。二ヶ月ぶりの再会という感じもなく、つい昨日いっしょに野球をやったような気がするほど、記憶は鮮明だった。

 すぐに目に入ったのは、真っ黒に日焼けした気仙沼小・南気仙沼小の小学生たちで、トリプル君(三つ子君)たちも元気そのものだった。

 柏市側は、秋山浩保市長をはじめ、寺嶋哲生商工会議所会頭ら、市民の会の方々約90名が顔を揃えて、子どもたちを歓待した。

 私も心から再会を楽しみだったことを少しでも形で示すべく、ささやかながらプレゼントを用意した。先日、電話で監督から「中古品のグラブなどの義援品は全国からたくさん戴いたが、やはり新品の(使い手の癖のついていない)のを子どもたちに与えたい」という話を聞いていたので、用具を全て失った気仙沼南小の子どもたちには新品のミットとグラブを2チーム分贈った。

 気仙沼小の子どもたちには、実用品以上に心にかかわるものをと考えて、彼らの憧れの対象であるプロ野球選手の「言葉」をプレゼントすることに決めた。その言葉で子どもたちの夢と希望がいっそう増幅することになれば、私も大いに嬉しいからである。

 それで、17日のナゴヤドームでの中日ー巨人戦の試合前に、攻守走とも子どもたちの手本になるストイックな名選手・荒木雅博内野手からバットを1本、頂戴した。中日側はそれだけにして、さらに、巨人側にも協力してもらおうと勝手に決めて、トップの原監督に依頼した。好漢・原辰徳氏は満面に笑みをたたえて、「いいことをおやりですね,谷沢さん!」と快く引き受けてくれ、荒木君の新品のバットに一筆、筆ならぬマジックペンをふるってくれた。曰く「がんばろう!結束」。

夢と希望に満ち溢れたバット

 できることなら、子どもたちが滞在する三日間ずっと接していたかったのだが、翌日は北海道へ飛ばなければならない。(もちろん、ビールを楽しむ避暑のためではない。自治総合センター/北海道/旭川市の3者主催「宝くじスポーツフェア ドリームベースボール」に参加するためである。)

気仙沼小・南気仙沼小の小学生たち

 それで償いとして、たけなわの宴を抜け出し、子どもたちの部屋に行って、いろいろ質問を受けて、臨時の野球教室を行った。こどもたちの口からははほんとうに素直に様々な質問が飛び出す。それがまた楽しくもあり、時には大いにこちらの参考にもなる。

 このあと、子どもたちには千葉マリン球場でのプロ野球観戦や柏市の小学生チームとの親善試合などが用意されている。多くの大人たちがいつも見守っていることを、心のどこかに留めてくれればと思う。

 なお、「東日本大震災復興を支援する柏市民の会」では、8月27日〜10月8日まで8日間単位で、気仙沼市での活動する市民ボランティアを募っていることを付け加えておく。

・・・ふと思うこと 001

このブログの書き込みも、ずいぶん間遠になった。それを反省して、断片的でもかまわずに、その時々の所感をもっと気軽に書き込むことにした。題して「・・・ふと思うこと」。目標は100回で、まずはその第1回、001である。

今夏もまた猛暑だが、昨夏と違って私にはとっても時の進みが早く、慌ただしい。大学の講義も今年は8月3日まであり、履修学生の成績表を教務へ出したのが12日だった。7月中旬から3週連続する講義で、履修者は400名弱。3回とも映像(いずれも10分構成)を流した。

1回目は私自身の「2千本安打の記録」で、桑田真澄君の修士論文『野球を学問する』(新潮社刊)もとりあげ、「体罰は是か非か」「飛田穂洲翁の武士道野球の意味」を題材にした。
2回目は「アイク生原の生涯」。日米野球の架け橋となった大先輩の業績を考察して、スポーツの国際化を論じた。
3回目は、とくにスポーツ関係職に就きたい学生たちの夢に添うものとして、「モンゴル野球・蒼き狼のフィールド」。
3回とも、目下、話題のハーバード大学サンデル教授流の質疑応答方式である。

小テスト&アンケートも実施した。
1. 最近のスポーツで感動したこと3つ挙げよ。
2. 2020年東京オリンピック招致は賛成か反対か。
3. 影響を受けたアスリートは誰か。

こういう問いに対して、学生たちはなかなかおもしろい回答あるいは解答を提出してくれる。多くのスポーツOB(現役を引退した人たち)が「最近の若者は・・・」という台詞をメディアで発するが、その若者像は私の学生たちとは少し異なる。機会があったら、この彼らの回答の一部をこのブログでも披露しようと思う。

本職のプロ野球解説も暑さを理由に怠るわけにはいかない。ラジオ・テレビの試合中継解説、CS放送の「プロ野球ニュース」は《口調は柔らかく神経は緊く》をモットーにしてマイクとカメラに対している。

13日〜20日まで山形県鶴岡市で合宿中の東大硬式野球部員から、質問メールもしばしば届く。それに真摯に応えるためにも、プロフェショナルたちのプレー一つ一つを注視している。そして、例えば真弓監督から打撃論を、宮本選手から守備技術を、内田コーチからファーム選手の育成法を、というふうに具体的な事例を学べるのはじつに有意義なものだ。

7月16日からは、長崎県島原市、新潟県上越市、岩手県二戸市、長野県松本市を訪問した。全国自治センター主催の「宝くじスポーツフェア― ドリームベースボール」に参加するためである。つい数日前の8月14日の松本市営球場では、700名もの子供たちと野球教室を楽しんだ。

名球会が、金田正一氏の勇退後、十分な検討もなく突然、株式会社から一般社団法人へ組織替えしてしまい、私は一般社団法人の社員になるのを断った。その社団法人名球会は長年続いているこの催しにたいして、今年はまったく協力しないことを宣言したという。それで、私なども猛暑や東大合宿よりもこのゲームを優先して、子どもたちの夢を壊さないように、OBクラブの会員たちとともに参加している。

地元青年チームとの親善試合は、各選手とも往年のユニフォーム姿で(本人だけは颯爽と、よそ目には?と)登場するのだが、やはり会場からの声援が大いに沸き上がる。この楽しさを肌身で感じ取れるのは、やはりかつてグランドで活躍した選手たちだけである。野球に縁のなかった者たちには、そして面子や自己利益にとらわれている者たちには、この「ドリームベースボール」の意義はわかるまい。

母校・習志野高が10年ぶりに甲子園に出場し、3回戦を突破した。だが、上記の理由等で応援に行けない。せめてもの思いで、少額のカンパを送っておいた。後輩たちよがんばれ! 

19日には気仙沼の野球少年たちが、柏市と市民の会の招待でやってくる。彼らにどんなプレゼントができるか、野球用具は中古品とはいえ、かなりの数が全国から送られてきているというから、私としては金品で買えないもの、心に夢を抱けるものを準備中だ。

あれやこれやと忙しくしていたら、古傷の足がまた痛みだし、サウスポーの少ないチームの練習のためにバッティング投手として投げ過ぎたのか、左肘もやや痛い。しかし、練習ごとに百球以上も投げ続けていると、肩や肘に負担のかけない投球法がわかってきた。まさに怪我の功名である。

誰かがやらねばならぬことだからと思うと、つい身体が動いてしまう。この夏もまた、家人たちから、祖父として父として夫としての及第点はもらえないだろう。

 大震災からちょうど三か月目の6月11日、私は気仙沼市に着いた。YBCメンバー(松村コーチ兼任・川村主将・山賀、平野副将、谷澤副部長)とともに、気仙沼の子供たちと野球を楽しむためである。

 その20日ほど前に、私は柏市地域づくり推進室に電話をかけた。詫びの電話である。その引き金は、今年になってYBCの選手たちから不満の声が強まったことである。この1,2年の間に加わった選手たちは、6年前の創設時の事情を知らない。利根川河川敷グラウンドを使えるようになるまで、練習場所の確保にどれだけ苦労したかを、彼らは知らない。今年に入って、チームの首脳陣が若返った。彼らなら、私もあまり顔を出さなくてもいいと思い、ともにYBCをたちあげ、5年間も私につきあってくれた加藤前部長も「完全引退」したので、資金運用をはじめチームの運営のほぼ全権を、部長・監督らに委ねた。彼らもまた、創設時から苦労をともにしてきたから、これまでの事情は十分に知っている。ただ残念ながら、それが大部分の選手たちにあまり伝わっていないようだった。

 これまでは苦労も笑いとばしてきた。「野球ができる楽しさ・喜び」がYBCの原点だからだ。もちろん、その延長に「勝つ喜び」がある。そういうやっとの思いで確保できたグランドなのに、新体制となってから不満の声が多く私の耳にも聞こえてきた。交通の便の悪い、葦などが群生してボールが紛失が多すぎる、水道もなく、土埃を抑えられない等々……、かつては自ら「ジプシー球団(ジプシーは差別語だというから不適切な表現だろうが敢えて記す)」と称して転々とした。その苦難はこのブログにも記してあるから、選手やスタッフも読んでくれていると私は信じ、理解してくれていると思い込んでいた。グランドの不備について不平不満を声高に言う者がいれば、部長・監督らがたしなめてくれると思っていた。それに、そんな悪条件でも現監督らの指導の良きを得て、昨年までは千葉県クラブチームのナンバーワンの戦績を残し続けられたのだから。

 だが、気になることがいくつかあった。「自分たちの不満は当然だ」というような声が公然と語られているのではないかと私は懸念した。もしもそんな声が柏市の窓口である地域づくり推進室に浴びせられていたら、まことに申し訳ないという危惧が生まれた。それで、その確認と詫びを言いたかったのである。

 今年度、地域づくり推進室に改組されたが、前身のホームタウン推進室の時には小貫室長が我々の活動を大変よく理解してくれた。公僕である人のもつ独特の言い回しで、こちらへの配慮と遠慮のもと、小貫氏はYBCをサポートしてくれた。高橋氏もまた同じである。6年前のYBC設立当時は、秘書課に勤務しておられ、グラウンド探しにも骨を折ってくれた。あいにく柏市の野球環境は現在以上に良くなかったので、目を見張るような成果は生まれなかったが、真っ先にCP会員になってくれた。そして、それは今までずっと続いている。(ちなみにかつて柏市役所軟式野球部が全国大会へ参加した頃、小貫氏も高橋氏もそのメンバーだった。)だから、まだまだ地元柏市に十分な地域貢献をはたしていない私としては、県行政出向から戻った高橋氏に頼むことは抑え、頼まれることはずべてを行なうつもりでいたのである。

  私のかけた電話は意外なことになった。高橋氏の第一声は「今、気仙沼にいるんですよ」

私「えー、何でまた・・それは大変ですね」

高橋氏「震災後、柏市も災害支援や復興作業に協力したいと、東北の各市町村へ連絡したところ、唯一と言ってもいいほど行政機能が動いていたのが気仙沼市役所だったのです」

私「姉妹都市では無 いのですね」

高橋氏「そうなんです。すでに4月から職員と市民の会とで10名の班を組んで、週交代で7月末まで(今のところの予定ですが)支援致します」

私「私に何かできることがあったら言って下さい」

高橋氏「子供たちが可哀そうで・・」

私「野球教室でもやりますか」

高橋氏「やって頂けますか!そうすれば気仙沼市も柏市も復興と支援活動に元気がでます。何よりも子供たちに明るさが戻ってくれば意義がありますから。是非お願いします」

乗せ上手な高橋氏は「具体的に決まり次第連絡します」と言って、電話は切れた。

 6月5日、柏市を訪ねた。野球教室開催が11日に決定し、その打合せに出向いた。窪井部長から柏市が被災者の受け入れを積極的に行っていることなど、災害活動の現状を伺った。災害派遣協働推進課へ申請した車の通行書を頂戴して準備が整った。

 出発は11日深夜となった。10日のCSプロ野球ニュース(PBN)のスタジオ出演を終え、深夜0時半に谷澤副部長が、川村・山賀両君も同乗して、TV局に迎えに来た。PBNの武田ディレクターも取材をしたいと言って車に乗り込み、さらに途中柏市に寄って、松村君・平野君も加わり、我がYBC副部長の自家用車が東北道へ入ったのは午前2時を過ぎていた。

 降りしきる雨の中、何度か小休憩しながら気仙沼市へ着いたのは朝9時頃だった。運転者はもちろんのこと、全員、睡眠不足だったが、心は高揚している。正午に避難所となっている気仙沼小学校で、再び柏市から駆けつけてくる高橋氏と打ち合わせることになっていたが、この雨では野球教室も室内での簡単なものになる、残念無念と思いながら、気仙沼港を目指す車の窓から外を眺め続けた。細く曲がりくねった山間の路を抜けると、不意に眼下に惨状の広がった。ただただ唖然とするだけだった。TVニュースの画面とはまるで違う。火災で黒焦げの大型漁船が放置され、漁業組合や船着場、商店街の建造物に残っている大津波の爪痕は、言葉では言い尽くせぬ光景だ。瓦礫は至る所に堆積していた。強烈な磯の香りを嗅ぎながら、もっとも衝撃を受けたのは、海面が陸地より高く見えることだった。おそらく防波堤も流されてしまっているからだろう。今、海が陸より高いのは理屈に合わない。だがだが見てもそうとしか見えないのだ。気仙沼の人たちの恐怖の一部を実感できた。そして、それだけでも私にはこのうえない恐ろしさに充ちた光景だった。

気仙沼野球教室
気仙沼野球教室

  高台に位置する気仙沼小では、校舎前の広いグラウンドでサッカースクールが始まろうとしていた。再び強くなった雨の中で、世田谷区のサッカー団体の活動という。世田谷には全国でも有数の活動をしているスポーツNPOがあることを思い出した。体育館に入って行くと、柏市のネームが入った黄色いジャンバーの人がいたのでで声を掛けてみた。やはり柏市の応援部隊だった。「谷沢さんですか。ご苦労様です。高橋課長から伺っています」とにこやかに言う。「今日から次のグループが来るので交代します。こちらの被災者は75名ですので4人で対処してますが、グラウンドの向こうの中学校体育館には250名おりますので、こちらも6人で動いています。」応援部隊は体育館の壇上の奥で寝泊まりしているそうで、食事も避難の方々と同じく、「ボランティアの皆さんが用意してくれるものをいただいています」と言う。

 中学校の校舎へ行ってみた。グランドは砂利が敷き詰められ、完成した架設住宅には入居者がいたが、たまたま体育館で、市長が被災者から強い口調で要求を言われている集会を目撃した。柏市職員の言では「9時から集会が始まって、もう3時間ほどになりますね。すでに避難後3か月になりますのに、先の見えないことに苛立っているんですよ」

  窪井・高橋両氏が柏から到着した知らせが入り、小学校へ戻った。そこには白いユニフォーム姿で待っていた人物がいた。「気仙沼小学校野球部の監督の菅原洋です。市の農林課の職員なんです」

私「小学校で野球部があるとは珍しいですね」

菅原監督「当初はスポーツ少年団でしたが、指導する者がいなくて私がやり始めたら、すっかり夢中になって10年も経つうちにいつのまにか野球部に変わっていました」

 日頃の行いがいい(?)せいか、昼頃から雨もすっかり上がり快晴となった。「晴れ男、健在!」と心の中で呟いた。さっそくユニフォームに着替えた。YBCの面々はフェニーズの、私は現役時代のものだ。

監督「今日は南気仙沼小から13名、うちから15名です。南気仙沼小は津波でやられて、子供たちの野球用具はすべて流されてしまいました。うちと合同で練習もしましたが、東北の子は人見知りをしてなかなか打ち解けあってくれません」

私 「今、何が必要でしょうか。今日のために何を用意しようかと熟慮しましたが、とにかく監督さんに聞いてからでも遅くはないと思いましてね。ただ、現役プロ選手の色紙とサインボールをいくつか用意しています。配布は菅原監督にお任せします」(子どもたちのためにサインしてくれた岩瀬・井端・荒木・浅尾の中日勢と、中村・中島・栗山・岸の西武勢の諸君、ご協力ありがとう)私の野球カードを持っていったが、これは子供たちよりも大人の方々のほうが笑顔だった。

 窪井部長の挨拶があり、次いで菅原監督の黙祷の指示と私の挨拶のあと、野球教室が始まった。子供たちに「プロ野球選手になりたい人は?」と聞くとほぼ全員が元気に手を挙げる。まずは、川村主将が先頭に立ってウォーミングアップ。続いて、泥濘を避け、土の固い所を選んでの走塁練習、キャッチボールの基本、トスバッティング、ゴロ捕球と基本練習を順番に行なった。そのつど、説明を加え、実動作を繰り返した。子供たちは熱心・夢中、私達の指導に集中する。 やがて、ティー打撃と守備練習になると、「俺、俺」とアピールする子がどんどん出てきた。輝くような笑顔と真剣なまなざしが溢れた。

気仙沼野球教室
気仙沼野球教室
気仙沼野球教室
気仙沼野球教室

 にこやかに子供たちを見守っている中に、佐藤氏がいた。佐藤真海(まみ)さんの父上である。祖父から真海さんまで3代続く早稲田マン&ウーマンである。真海さんは、仙台育英高で陸上競技部員だったが、大学時代に骨肉腫のため、右膝下を失なったが、2004年、08年と2度もパラリンピックに出場し、走り幅跳びで6位入賞を果たしている。(彼女のブログも著書の『夢を跳ぶ―パラリンピック・アスリートの挑戦』 岩波ジュニア新書もぜひ読んでほしい)気仙沼出身の彼女とは、6月9日に歓談した。(仙台育英と言えば、YBCの加藤前部長が長年、同校の顧問であって、彼もすでに仙台や多賀城などに3度ボランティアに行っている。我々のYBC精神は生きていると思うと嬉しい。)

 あっと言う間に2時間半が過ぎていた。いつの間にか2つの小学校の子供たちは交じり合っていた。菅原監督の「子供たちがスキップして帰れるように」という願いは実現した。私達もまた同じ心境で気仙沼を辞した。天気同様、晴れ晴れとした気分だ。そんな気持ちを与えてくれた気仙沼の子供たちと、関係した方々に心から感謝したい。

気仙沼野球教室

 帰京早々に菅原監督からメールをいただいた。私信であるが、勝手に一部を引用させてもらう。

「野球教室での子供たちの笑顔に,私たち大人も元気をいただきました。一番はしゃいでいたのは子供たちではなく,大人の私たちの方だったかもしれません。」

「野球教室の翌日の練習では,谷沢選手に教わったことをひとつひとつ確認しながら練習に取組んでいた子供たちがおりました。」

「子供たちの声や動きにも明らかに変化が見られました。(略)震災から3ヶ月経たこの日に再び自分の夢や目標に向けて歩み始めたようです。その子供たちをこれからも応援していきたいと思います。」

なんと嬉しい言葉が並んでいるメールだろうか。

追記・さきほど、高橋課長から連絡があり、8月に気仙沼の子供たちを柏へ招待して楽しんでもらう企画を立案中だと思う。ぜひ実現させてほしいと思う。ところで、柏の子供たちにもティーボールか野球かで楽しんでもらわなければ。我々の本拠地は柏市なのだから。YBCの若い諸君よ、自分だけが笑顔になるのではなく、人とともに笑顔を浮かべようぜ!

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 7月26日、中野区第十中学校体育館で「親子クリニック」を実施した。親子ペアに...
無料野球塾 愛知県犬山市のスポーツ少年団・補足 : 2010年07月26日
前回掲載について、経緯を補足しておきたい。 平松氏の初メール「お世話になります。...
無料野球塾 愛知県犬山市のスポーツ少年団 : 2010年07月23日
初めて公に無料野球塾の募集をしたのが3月18日だった。すると、その翌日、愛知テ...
無料親子野球クリニック : 2010年07月12日
無料親子野球クリニックを開催します。 日時:2010年7月26日月曜日 場所:東...
谷沢野球塾 : 2010年07月09日
 NPO法人「谷沢野球コミュ二ティ千葉」のホームページに、「谷沢野球塾」(谷沢野...
球界を浄化した黒い霧事件 : 2010年06月30日
 今、相撲界が揺れている。何人もの親方や関取が野球賭博に手を染めたことで、国技の...
交流戦、なぜパが強いのか? : 2010年06月05日
 セパ交流戦も終盤戦を迎えた。今のところ(6月4日現在)、戦績はパが56勝40敗...
都市対抗二次予選に向けて : 2010年05月23日
 全日本クラブ選手権千葉県予選を3連覇で飾ったYBCは、今月27日から始まる都市...
都市対抗&全日本クラブ選手権の千葉県予選 : 2010年05月14日
 我がYBCの公式戦が始まった。「第81回都市対抗大会兼全日本クラブ選手権千葉県...
ホスバヤル君とMNBF会長 : 2010年04月10日
ホスバヤル君とモンゴル国民野球機構前会長  4月6日、ホスバヤル君から報告がき...
谷沢健一の無料野球塾―Q&A : 2010年03月30日
 無料野球塾に予想以上の反響が生まれている。具体的な質問も寄せられたので、今後の...
谷沢健一の無料野球塾 : 2010年03月18日
 今、話題になっているのは「フリー」だそうだ。『フリー~〈無料〉からお金を生みだ...

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