ホスバヤル君が4月上旬にMNBF(モンゴル野球協会)の会長選挙に立候補して会長に選出されたことを、当ブログで紹介した。その報告を私が受けた後、彼はすぐにまたモンゴルへ戻っていった。その後、彼から連絡がなかったので、「便りのないのはよい便り」だろうと思っていた。ところが、事はそう簡単でなかった。
ホスバヤル君は5月に日本に戻っていたのだった。それを私が知ったのは7月である。というのは、あるTV制作会社から「ホスバヤルさんの母国での野球普及活動の番組を作りたい」という申し出があったからだ。この申し出は、私には嬉しい企画であり、すぐにYBC東京事務局が協力するように指示した。事務局がホスバヤル君に連絡して、はじめて彼がひっそりと来日してたことがわかった。
どうやら彼はピエロ役を演じさせられたらしい。前会長・副会長らの協会役員は27名いるそうだが、それがA派とB派とに分裂して協会の実権をめぐって争い合っていた。それで、A派が当て馬としてホスバヤル君に白羽の矢を立て、B派の票を分散させようと狙ったらしい。
しかし、目論みは外れて、ホスバヤル君が最多票を得てしまった。やむなく、いったんはホスバヤル君を会長職に就けておいて、すぐさま、「新会長は選挙で最多票を得ていても、それは過半数に達していない」とクレームをつけ、再選挙を主張した。以下、詳細な経緯は省くが、けっきょく、ホソバヤル君は会長職を追われた。そして、ABの2派は相変わらず権力の掌握を争っているという。
ホソバヤル君は怒りと失望と悔しさと、様々な感情が心を渦巻いただろう。これらの顛末を私やYBCの関係者に報告するのは、同国人たちの恥を曝すことにもなり、おそらく悶々としながらいたにちがいない。「谷沢さんにも合わせる顔がない」という気持ちが先立って、ひっそりと隠れるようにしていたようだ。
ただホスバヤル君にも落ち度がないわけではない。彼自身が深く悔いているようにひじょうに幼稚なミスを犯した。思えば、野球をやることだけを考えて来日し、日本の生活に慣れることでせいいっぱいだった。だから、「モンゴルのおとなの世界のこともまったくわかっていなかった」(ホスバヤル君の言)のも無理はない。モンゴルは民主化したばかりの国である。純朴な青年が翻弄されるのは当然かも知れない。(そう言えば、私の同県人の元・代議士が背任横領容疑で逮捕されたが、彼も「モンゴルの金山開発に投資した」と述べているそうだ)
今、彼は日本でこつこつと資金を蓄え、再びモンゴルに帰国して、両親の住む町(首都ウランバートルから400キロほど離れた鉱山の町だそうだ)で、少年野球チームを結成し、野球の普及をいちから始めようと決心している。
他者の蓄えた冨を武力で収奪し続けたチンギス汗ではなく、自らの血と汗で礎を築くことを、ホスバヤル君に期待しているのが、私の偽らざる心境である。
先月18日の稲門祭の頃、競技スポーツセンターの山本浩氏(YBCにもよく協力してもらっている)から「11月4日にブッシュ元大統領がワセダで講演しますが、お聴きになりますか?」と連絡を受けた。さらに、野球部先輩理事の関口昌男氏から「聴講者は全て野球部でまとめて、大学側に申請致します」というメールも入った。
15時からの講演だったが、稲門倶楽部員は13時半に集合せよとの指示通りに、リーガロイヤルホテルに到着すると、SPらしき人たちが厳戒態勢をとっていた。本村稲門倶楽部会長はじめ、鈴木先輩理事、石井連蔵氏、徳武定祐氏、小宮山悟氏など30余名が、緊張の面持ちで引率者を待った。
講演会場は安部球場跡地に建った井深記念ホールである。千人収容の会場が満席だったが、座席は指定されていて、私は院生の時の指導教授とご一緒で一番前だった。特別席だったが、その理由は講演に先立つ以下の挨拶(村岡功スポーツ科学学術院長)でわかった。
「2003年5月に始まった『アイク生原&ピーター・オマリー記念スポーツマネジメント講座』は、当初の予定通り2008年3月に第10回の講座が開催され、それをもって終了したが、この度この講座の開講にご尽力いただいたピーター・オマリー氏からご推薦いただき、第43代アメリカ合衆国大統領であり、アメリカ大リーグテキサス・レンジャーズの共同オーナーも務め、イェール大学時代にはラグビーをプレーし、高校時代にはヘッド・チアーリーダーであった、George.W.Bush氏によるSpecial talkを開催する運びとなった。」
つまり、これまでの私の関わり方──アイク生原氏らや早大そのものへの関わり方──についての評価なのだろう。講演前に小宮山悟氏が聴衆に紹介されたり、講演後に桑田真澄氏からの花束贈呈があったりしたのも、同じ趣旨だと思う。
続けて、生原氏の紹介映像が流され、二人の学生によるドジャースでのインターン体験報告もあった。白井総長の挨拶の後、応援部のブラスバンドとチアーリーダーによる歓迎演技も実演され、いよいよブッシュ氏が登壇した。
以下ブッシュ氏の講演内容である。
1、テキサス・レンジャーズの共同オーナーとして
a.フランチャイズにおける成功のカギは何か?
球団を所有しているオーナーは、想い入れをファンと共有すべきで、ファンを楽しませるにはどうするかを考えたら良い。ファンは何回も球場へ足を運ばせなければならないのだから。それには、チケットの高い値段が問題だ。家族が全員で楽しめる値段であるべきだ。景気に左右されない価格、雰囲気の維持、ファンとのフレンドリーな関係は結ぶことが大事だ。スタジアムに行きやすいことも重要だ。高速道路が渋滞してフラストレーションが溜まれば、再び観戦したい意欲も薄れる。
b.マスコミとの関係
ファンの応援のためにマスコミを活用すべきであり、決してマスコミは敵ではなく、球団の戦略を丁寧に説明すべきだ。ベストなマーケティングは「ゲームに勝つこと」である。競技スポーツは、勝つことが求められる。
選手は、メディアと交流し、例えばラジオのトークショーでも、ファンの心の声を知ることで大切だ。マスコミは我々と同志であり、選手は魅力的で人を引き付ける存在であらねばならない。選手と関わりを持ちたいと思うファンとの意思の疎通を図るよう、共同オーナーと共にマーケティングしながら、チームを率いていた。
c.分かっている人に権限移譲
ボビー・バレンタインを監督に据えた時もあったが、ある年、交代させることを告げた。そのように充分な決意を持ってTOPを入れ替えねばならない重要な時がある。リッチな球団であれば、FAで獲得して選手団を構築できる。ヤンキースなどは興業収入も高い。一方、レンジャーズは優秀な野球人と首脳陣を揃えることで補われてきた。目標はワールドシリーズへの進出だが、そのための運営戦略は「自由な市場戦略=人材(権限移譲)」が第一である。
サミー・ソーサを他チームにトレードしたこともあった。トレード翌年の活躍が見事であったためにファンからのバッシングは酷かった。しかし、オーナーとして説明責任を果たさねばならない時もある。
d.地域社会への貢献
オーナー及び球団は、良い市民になる。子供の読み書きなど識字率を高めることは、良き球団市民となってお手伝いすることの一つだ。野球場でプレーできない子供たちに、他にも球場を整備してファンに楽しむ場を提供することも実行しなければならない。余談だが、昨日、日本シリーズを観戦した。アメリカの球場は声を揃えて楽しむことはない。感動した。
e.スポーツマネジメント
ファンが楽しいかどうかがポイントだ。楽しければ球場に何回も行ける。勝つこともだ。野球は科学ではない、Art(芸術)である。個性がチームを創る芸術だ。
チームを創ることとは、一緒に働く従業員を理解して、一体感を持って「文化」を創ることだ。オーナーとして、ファンと連帯感を持ってよく話をした。負けるとファンには怒鳴りつけられたが、それも心配してくれている証拠である。私の政治の仕事でも楽しむことができたと思う。
2、学生からの質疑応答
a.女子学生からの質問「スポーツ医科学について、どんな点に関心があるか」
ブッシュ氏「スポーツ=健康とまじめに考えている人は、タバコは吸わないだろう。酒も余り飲まないであろう。1日に20分で良い、散歩などによって心臓疾患も減る。大統領時もよくジョギングをした。しかし、膝を痛めたのでマウンテンバイクに変えた。ジムに通うのも良い。団体競技(フットボール、野球)のも参加して、とにかく心拍数を上げることだ。
b.男子学生からの質問「レンジャーズの共同オーナーとして最も重要なことは何か?」
ブッシュ氏「ファンは誰か。これがマーケティングで重要な所だ。オーナーは誰がファンか分かっている。球場が満席でない時、勝ってない時、どうするか。球場を清潔にすること、ファンとフレンドリーな関係を築くことだ。
c.男子学生からの質問「組織のTOPのリーダーシップとは何か?」
ブッシュ氏「信念を伝えるだ。原理原則を尊び、特に原則を曲げない意志を強く持つ。時間を守る。耳を傾け有能な人を見分ける。ファンはチームの一員である。約束を守る。スポーツ及び政治でも、人生一般にも言えることである。
d.男子学生からの質問「スポーツ産業について想うことは?」
ブッシュ氏「現在のような景気後退には生き残りを図らねばならない。不景気を脱却するためにスポーツもコスト削減は重要だ。しかし、不景気だと言ってもファンはお金を出して球場に来ている。この現象は大切にすべきだ。球団によってはチケットを値下げしている。問題は選手の長期契約である。新人でも4〜5年の契約をしている。ケガをしても高いお金を払い続けることほど馬鹿げていることはない。球団はコストを引き下げて、ファンをどうやって動員するか一番考えている。また、放映権は収入の太い柱の一つだ。私は子供の頃、ウィリー・メイズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ外野手)の大ファンだった。人気のある選手はチームにとって必要だが、オーナーは説明責任を日々果たすよう、選手成績に目を配り、意志決定者としてファンと向き合う努力を惜しんではならない。
e.男子学生からの質問「地元にプロスポーツが存在することのプラスは、benefitの面は?」
ブッシュ氏「当初、スタジアムの構造が問題であった。安価な外野席が多く、内野席が少なかった。建て替えのコストを分担しないかと市民に呼び掛けた。市外の人たちも来てくれる球場ならば都市も潤う。州税務当局と市民とも協議して、税収の一部を消費税として徴収して建築費に充てることを、市民投票により賛成を得た。0.5セント税金を増やす。建設後は0.5セント減税する。賛否両論があったものの、アーリントン市は非常に小さな都市であったが、潤うことができた。今年、ダラス・カーボイズがレンジャーズの球場に隣接した場所に屋内ドームを完成させた。10億ドルを掛けたが、一つのチーム(レンジャーズ)が上手く行ったからだと思う。
最後は校歌で締めた。残念だったのは、ピーター・オマリー氏が所用で来日できなかったことである。
野球に関してまだまだ見聞を広められる・・・還暦も過ぎている今、改めて野球の広さと深さを感じている。それにしても数々の感慨の詰まった7月だった。
米国野球事情の視察は、この数年、心に温めてきたことだが、ようやく評論・解説の仕事と大学の授業を休ませてもらい、2週間の日程を取ることで実現できた。関係者の皆さんに大いに感謝しなければならない。
50歳になって、自分なりの目的を明確に持ち、それが野球に関わる人々からもあまり理解されないことは承知の上で、誰かがやるべきだがまだやる者のいないことに手を初(そ)めてきた。今回の渡米もその目的の内にあった。多少、大袈裟かも知れないが、経験論哲学者・John Lockeの「我々の心は白紙であり、経験から観念が生まれる」という主張にふれた時の想いが蘇って来た。まさに「百聞不如一見」である。
帰国後、このブログに記した事柄がいくつか展開した。第一は、伊良部君の高知ファイティングドッグス入団である。あの時、ダン野村氏はひじょうに関西DLにも興味を示していたが、残念ながら関西DL側はそれどころではなかった。友永氏の関心の高さを合わせて考えてみても、日米の繋がりの太さ、関係者の敏感さを改めて感じた次第である。(マスメディアの報道もまだまだメジャー中心である。日経の篠山正幸記者のコラムは、読ませてくれたが。)
第二に、8月5日のDT戦のゲーム前、阪神・ブラゼル選手と雑談した中で、確認できたことがあった。
谷沢「先月、マイナーとINDを見て来たよ」
ブラゼル「ライオンズを自由契約になってから、ボルチモア・オリオールズの春季キャンプに参加したんだ。私も5月に30歳を迎えるので、どんどんマイナーに落とされてね。年俸が高いとマイナーにも置いてくれない。まだ野球に賭けたいのでINDに行くしかなかった。契約条項では、5時間以上のバス移動は無いと謳っていたが、ミネソタのセントポール・セインツでは25時間のバス移動が一度あったよ。驚いたね」
谷沢「フォートワースのキャッツに行ったのかい」
ブラゼル「そこには行かなかったが、INDは各州に跨っているんで大変だよ。地元セインツは人気があって平均5千人の観客が入るよ」(米国のINDは8つのリーグが存在して約64チームが運営されていると言われているが、活動停止も時々起きている)
ブラゼル「5月から始まったINDでは、6試合出場しただけだったが、好調で直ぐに阪神の目に止まったのはラッキーだったね」(会話の途中から阪神球団の通訳氏が加わってくれたので、話の内容がいっそう明らかになったことは感謝しなければならない)
今回は、マイナーリーグとINDのほんの一部を見て回っただけだが、如何に地方都市にまで球団が存在し展開しているか、強く実感できた。AAAのラウンドロック、Aのランカスターはマイナーの典型的な例である。しかし、いくら米国土が広いとはいえ、マイナー球団とIND球団が隣接している箇所では、INDの経営は逼迫している。ARMADAのように行政を味方につけて特色を産み出す運営が必須になっている。
さて、旅には出会いがある。LAではウォーリー与那嶺氏の長女・エミーさんと会食して、中日監督時代の話題で花が咲いた。その夫君の弁護士の方も同席したが、終始にこやかにしておいでだった。ウォーリーがNFL“49ERS”の初の日系人選手として活躍した後、肩の故障を契機に野球に転じたことは知っていたが、じつはハワイで野球を経験しただけでなく、メキシコリーグにも挑んでいたとエミーさんは明かしてくれた。新たに知ったウォーリーのチャレンジスピリットに驚嘆すると同時に、それが私たちに欠けているのではないかと、省みさせられた。
また、オースチンでは宮内氏から小松英一郎ご夫妻を紹介していただき、夕食を共にした。小松氏は35歳にしてUT(テキサス大)の教授である。専攻の宇宙工学とはまったく関わりのない熱狂的なドラゴンズファンだが、そうなったのは至極簡明があって、同姓の小松投手がエースだったという理由である。天体観測に趣味を持つゲーリー選手のエピソードを話したら喜んでくれた。
私が驚いたのは奥様の理解の早さだった。野球のサインに興味を示されたので、その幾つかを実演したところ、瞬時に呑み込んでしまい、その速さはYBCの選手諸君よりもはるかに上で、この夫にしてこの妻ありと、いたく感服した。ぜひとも再びお会い方の一人である。
最後にこの場でも謝らなければならないのは、JUNKOの友人である相原勇(ゆう)さんである。相原さんは、周知のようにTVで活躍後、渡米して、今はアイルランド人の画商の方と結婚している。その相原さんがわざわざNYからLAに訪ねてくれたのに、たまたま私の体調(=心調)が不調で、かなりご迷惑を掛けてしまった。繰り返しお詫び申し上げたい。
この米国事情に関心を寄せてくれた皆さんには、私の家族も頻繁な更新に協力してくれたことを報告しておきたい。(例えば、写真はそのつど長男が挿入してくれた。)
来年は、ボウチー・ジャイアンツ監督、ケンモッカ・ブリュワーズ監督らを訪ねて、再び見聞を広めたいと思っている。
プロフィール

名前 谷沢健一 KenichiYazawa
生年月日 1947.9.22
出身地 千葉県
出身校 習志野高〜早稲田大学
在籍球団 中日 背番号 41
投打 左投左打
通算成績
安2062/本273/点969/率.302
1987年引退
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