今、相撲界が揺れている。何人もの親方や関取が野球賭博に手を染めたことで、国技の行く末がどうなるのか、本当に膿を出しきれるのか、相撲ファンの一人として、私も複雑な思いを抱いている。危ぶまれていた名古屋場所の開催も、どうやら一安心できそうだというニュースが昨日報じられた。
相撲好きの父に連れられ、子供の頃から当時は蔵前にあった国技館に頻繁に通ったものだ。プロ野球選手になってからは、名古屋での7月場所の頃は、現・北陣親方の麒麟児関、現・鳴戸親方の隆の里関、現・尾車親方の琴風関らが応援に来てくれたりもした。
特に麒麟児関は私と同郷で、実家も柏駅に近く、まさに目と鼻の先だった。関取は子供の頃からコロコロと身体が大きかった。かなり大きなスイカ(巨体に比べて小さく見えるのだが)をぶら下げて、差し入れに来てくれたのをよく覚えている。
尾車親方からは、今でも番付表が送られてくる。大関だった彼は、膝の故障から幕下36枚目まで落ちたが、それで私との縁が生まれた。私の日本酒マッサージの先生を紹介し、私以上に節制と回復のために努力を続け、再度大関にカムバックした不死鳥ならぬ不死象(こんな言葉はないが)の男である。
7月場所の番付表は、今回の事件で未だできていないらしく、まだいただいていないが、おそらく櫛の歯が抜けたような番付になるだろう。律義な尾車親方の人柄を想うと、心が痛む。
協会は、文部科学省の強い意向によって外部識者による特別調査委員会を設置したが、どこまで悪の温床を断ち切って、角界を浄化できるのか? 多くの相撲フアンは期待と不安とを抱いて見守っている。
だが、これは他人事ではない。プロ野球界の最大の賭博事件は1970年に発生した。「黒い霧」事件と総称される八百長事件である。その際、現役選手の永久追放や出場停止など厳格な処分が下されたことは、年輩の野球ファンの記憶にあるはずだ。私にとっても一生忘却できない事件だった。その年は(暮れに近かったが)、私が入団した年だったからだ。
1970年は3月から大阪万国博覧会が始まり、大阪千里の丘の各国のパビリオンは多くの入場者を集めて、沸騰という語が大げさでないような活況を呈していた。
5月、西鉄ライオンズ(現・西武)の選手数名に八百長試合疑惑が生じ、刑事事件に発展した。我がドラゴンズでも一人の投手が八百長試合に加担したことで永久追放となった。彼はと競艇の八百長にも関わっていたとみなされた。
当時は、遠征で移動するときは、全ての野球用具を選手自身が運んでいた。用具に記されているチーム名をできるだけ隠して移動したが、目ざといファンの眼に触れて、嘲笑や冷たい視線を浴び続けた。私の最も思い出したくない記憶である。
ある捕手が話していたが、「今日はいやに真中のコースばかりだなー」とは思ったが、まさかそれが八百長の投球だったとは気がつかなかったそうだ。その投手は、逮捕前日には広島市民球場で完封試合を演じているほどの好投手だった。制球力が抜群だったせいで、かえって悪の誘いにのってしまったのだろうか。
この野球界の八百長事件は、疑惑の持たれた選手が国会で喚問された。野球が国民の人気第一のスポーツだったからこそ、厳しく追及されたのである。この喚問が国民に与えた印象はひじょうに悪く、若きエース・池永投手は永久追放となった。稲尾和久氏や豊田泰光氏らは、何万人もの署名を集め、永久追放の解除の実現を幾度となく試みて、ようやく数年前に追放刑は解かれた。おそらく池永氏も若気の至りだったのだろうが、長い間には筆舌には尽くせぬ辛苦があったにちがいない。嬉しいことに、池永氏は現在、山口県のクラブチームで活動している。
賭博事件で、世間の譴責を受けたプロ野球選手は少なくない。名選手と謳われた者も複数いる。今では名誉回復して(あるいは、しているかのごとく)球界OBとして活動しているが、おそらく自分の過去の過失を今でも深く反省し心の中では謹慎しているだろう。他のOBたちもメディアの関係者たちも「罪を憎んで人を憎まず」の心で接している。彼らもまた、自らを考えれば同じように他の人たちに対して「罪のみ憎んで、人を憎まず」だろう。
米国でも、4千本の安打記録を樹立したピート・ローズは八百長試合を仕組んだ罪で永久追放されている。このときの衝撃は、日本で言えば張本さんが永久追放されたようなもので、まったく信じがたく、「ピートがなぜ?」という思いが頭から離れなかった。
代表的な野球映画「フィールド・ドリームス」にも描かれているのが。1920年代に起きたブラックソックス事件(ホワイトソックスの選手による集団八百長)は、ある少年の言葉を有名にした。「ジョー(シューレス・ジョー選手)、(八百長を)やらなかったと言ってよ」。映画化されるほど、プロスポーツの汚れがどれほど少年たちの夢を壊すか、社会に警鐘を鳴らすものであった。
朝青龍の引退事件が霞むほどの賭博事件である。どうか大相撲が老若男女の思いを汚さない状態になってほしい、と祈る門外漢の私である。

早大野球部は斎藤佑樹君が入学した4年前の3月上旬、例年通りに浦添市野球場でキャンプが実施された。同球場はスワローズがキャンプを打ち上げた後だったが、報道陣もファンもプロ野球よりも「ハンカチ王子」に大騒ぎしたことを思い出す。その時、私は早大校友課から、小学生への野球教室&講演と、さらに沖縄校友会会員の皆さんとともに野球部を激励訪問するよう要請された。その際、校友課と野球部應武監督との連絡がまずかったのか、ひじょうに不愉快な目にあったが、それも今ではハンカチ王子フィーバーの余波のせいだったと思えるようになっている。
その不愉快経験の仲間だった沖縄校友会の白石武博事務局長から。その後、bjリーグ参入を聞かされた。“琉球ゴールデンキングス”の共同オーナーの一人に就任したのだった。先月末、白石氏にゲームがあれば応援に行くと連絡したところ、「2月6日午後7時からライジング福岡と対戦する。首位争いのナイトゲームであり、熱戦が期待される。是非おいでを乞う」との返事を貰い、チケットを2枚用意していただいた。たまたま、沖縄での私の「胃袋満足させ人(びと)」である知念さんも、バスケのファンで2人で楽しむことにした。
試合場の宜野湾コンベンションホールは3000人の観衆で埋まった。大相撲で言う「砂かぶり」の席に案内され、安永淳一取締役、片野、富永両セールスマネージャーに紹介された。
bjリーグの公式戦は、プロ野球が終わろうとする10月から始まり、4月まで行われる。だから、現在は2009−2010シーズンの中間になる。昨年、サッカーのJリーグも試合期間を欧州と同一歩調をとろうとしたが、各チームの反対にあって実現しなかった。もし実現していれば、プロ野球のオフシーズンに、他のプロスポーツを楽しむ機会が豊富になっただろう。
bjリーグは、南は沖縄から北は仙台まで13チームが競っているが、来季は秋田、島根、宮崎が参入して16チームとなる。観客動員も当初の26万人から73万人に増えた。4年目で約3倍になったわけだ。今季は100万人が目標と聞かされた。
しかし、経営はまだまだ楽ではないだろう。bjリーグでは、リーグ経営の安定とビジョンの共有を計って、1球団の年俸総額を8千万円で抑え(各球団8〜15名)、尚且つサラリーキャップ制(1選手の年俸の上限あり)も採用して年俸の高騰を防いでいる。FA(3年)やエクスパンションを導入して、戦力均衡を目指している。
外国人選手も多数採用しているそうで、今日のゲームもテンポ良く進み、選手の動きにもスピード感があった。かつて米国アリゾナでNBAの試合も観戦したが、さすがにそれと比べると、小型だという印象は否めないが、その懸命なプレーには感動をひきおこす力がある。ハーフタイムに、スワローズの石川・田中両選手がコートにおりて紹介をうけ、大きな拍手が起こった。夏の野球、冬の籠球という組み合わせをもっともっと活用できないものかと思いもした。
戦力均衡といえば、一時、プロ野球でもそうしようと企図した時もあったが、今やすっかり忘却されているらしい。そろそろ高騰する年俸にも歯止めをかけるべき時代ではなかろうか。ゴールデンイーグルスの島田亨社長、ジャイアンツの清武英利代表など、旧来の球団運営感覚と一線を画す人たちが手腕を発揮し始めているが、彼らの年俸観を一度、じっくりと傾聴したいものである。
プロフィール

名前 谷沢健一 KenichiYazawa
生年月日 1947.9.22
出身地 千葉県
出身校 習志野高〜早稲田大学
在籍球団 中日 背番号 41
投打 左投左打
通算成績
安2062/本273/点969/率.302
1987年引退
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