・・・ふと思うこと 001 - 個人的な話題

・・・ふと思うこと 001

このブログの書き込みも、ずいぶん間遠になった。それを反省して、断片的でもかまわずに、その時々の所感をもっと気軽に書き込むことにした。題して「・・・ふと思うこと」。目標は100回で、まずはその第1回、001である。

今夏もまた猛暑だが、昨夏と違って私にはとっても時の進みが早く、慌ただしい。大学の講義も今年は8月3日まであり、履修学生の成績表を教務へ出したのが12日だった。7月中旬から3週連続する講義で、履修者は400名弱。3回とも映像(いずれも10分構成)を流した。

1回目は私自身の「2千本安打の記録」で、桑田真澄君の修士論文『野球を学問する』(新潮社刊)もとりあげ、「体罰は是か非か」「飛田穂洲翁の武士道野球の意味」を題材にした。
2回目は「アイク生原の生涯」。日米野球の架け橋となった大先輩の業績を考察して、スポーツの国際化を論じた。
3回目は、とくにスポーツ関係職に就きたい学生たちの夢に添うものとして、「モンゴル野球・蒼き狼のフィールド」。
3回とも、目下、話題のハーバード大学サンデル教授流の質疑応答方式である。

小テスト&アンケートも実施した。
1. 最近のスポーツで感動したこと3つ挙げよ。
2. 2020年東京オリンピック招致は賛成か反対か。
3. 影響を受けたアスリートは誰か。

こういう問いに対して、学生たちはなかなかおもしろい回答あるいは解答を提出してくれる。多くのスポーツOB(現役を引退した人たち)が「最近の若者は・・・」という台詞をメディアで発するが、その若者像は私の学生たちとは少し異なる。機会があったら、この彼らの回答の一部をこのブログでも披露しようと思う。

本職のプロ野球解説も暑さを理由に怠るわけにはいかない。ラジオ・テレビの試合中継解説、CS放送の「プロ野球ニュース」は《口調は柔らかく神経は緊く》をモットーにしてマイクとカメラに対している。

13日〜20日まで山形県鶴岡市で合宿中の東大硬式野球部員から、質問メールもしばしば届く。それに真摯に応えるためにも、プロフェショナルたちのプレー一つ一つを注視している。そして、例えば真弓監督から打撃論を、宮本選手から守備技術を、内田コーチからファーム選手の育成法を、というふうに具体的な事例を学べるのはじつに有意義なものだ。

7月16日からは、長崎県島原市、新潟県上越市、岩手県二戸市、長野県松本市を訪問した。全国自治センター主催の「宝くじスポーツフェア― ドリームベースボール」に参加するためである。つい数日前の8月14日の松本市営球場では、700名もの子供たちと野球教室を楽しんだ。

名球会が、金田正一氏の勇退後、十分な検討もなく突然、株式会社から一般社団法人へ組織替えしてしまい、私は一般社団法人の社員になるのを断った。その社団法人名球会は長年続いているこの催しにたいして、今年はまったく協力しないことを宣言したという。それで、私なども猛暑や東大合宿よりもこのゲームを優先して、子どもたちの夢を壊さないように、OBクラブの会員たちとともに参加している。

地元青年チームとの親善試合は、各選手とも往年のユニフォーム姿で(本人だけは颯爽と、よそ目には?と)登場するのだが、やはり会場からの声援が大いに沸き上がる。この楽しさを肌身で感じ取れるのは、やはりかつてグランドで活躍した選手たちだけである。野球に縁のなかった者たちには、そして面子や自己利益にとらわれている者たちには、この「ドリームベースボール」の意義はわかるまい。

母校・習志野高が10年ぶりに甲子園に出場し、3回戦を突破した。だが、上記の理由等で応援に行けない。せめてもの思いで、少額のカンパを送っておいた。後輩たちよがんばれ! 

19日には気仙沼の野球少年たちが、柏市と市民の会の招待でやってくる。彼らにどんなプレゼントができるか、野球用具は中古品とはいえ、かなりの数が全国から送られてきているというから、私としては金品で買えないもの、心に夢を抱けるものを準備中だ。

あれやこれやと忙しくしていたら、古傷の足がまた痛みだし、サウスポーの少ないチームの練習のためにバッティング投手として投げ過ぎたのか、左肘もやや痛い。しかし、練習ごとに百球以上も投げ続けていると、肩や肘に負担のかけない投球法がわかってきた。まさに怪我の功名である。

誰かがやらねばならぬことだからと思うと、つい身体が動いてしまう。この夏もまた、家人たちから、祖父として父として夫としての及第点はもらえないだろう。

嫁いでゆく娘へ寄せて

 新年も明けた1月9日、次女・京子が広島へ嫁いだ。グランビィア広島での披露宴は神田康秋氏(テレビ新広島ではプロ野球ニュースや野球中継をご一緒させて頂いた)が務めてくれた。広島カープが生んだ名捕手・達川光男さんも出席して会を大いに盛り上げてくれたことは大変有難かった。祝電も名球会の金田さんや広島新監督の野村謙二郎氏、日本ハムの二岡智宏選手(京子が心を込めて、リハビリのサポートをしていた)らから心温まるメッセージが届いた。
 2010年最初のブログは、沢山駆け付けてくれた名古屋や山口の友人や、嫁ぐ先の広島の皆さんへの感謝の気持も含めて、式宴当日の私の挨拶をここに載せたい。
『私達夫婦の3人の子供たちは全て私の遠征中に名古屋で誕生しました。長男は広島カープとの試合中でした。延長15回表、私の放った三塁打をきっかけに決勝点が入り、6対5で勝った記憶は忘れません。長女は遠征日でしたので先生が陣痛を早めにしてくれて、見届けてからの出発でした。京子が誕生したのは長崎での試合が終わって宿舎に連絡が入りました。「腸閉そくで近隣の病院に入院した。危ないかも知れない。緊急に手術を要するかもしれない」と伝えられました。それから心配で一晩中寝られなかったのを記憶しています。
 小学生の頃です。日曜日の夕刻、京子は野球のユニフォーム姿で帰ってきました。私は即、「何だ!女の子がユニフォーム何か着て!すぐに返してこい!」と怒鳴ったのです。私に「女の子が・・」という意固地な所があったのでしょう。それ以来、勿論野球から遠ざかり、バレーボールに熱中し出したのです。これには、きっかけがありました。東洋の魔女、中村昌枝(旧姓河西)さんとの食事に京子も同行させました。余りにも「中村さんと会いたい」と言うものですから仕方なくです。中村さんは、私が広島市民球場で2000本安打を達成した時、応援に来て激励してくれた、そんな優しい人間味溢れる方です。その食事の時に「東京オリンピックの金メダル」を持参して京子の胸に掛けてくれました。この強烈な出会いが、中学からバレーボールの道へ、それも最強の私立文京中学へ進み、高校も縁あって三田尻女子高(現・誠英)に進ませました。そして、日本体育大学です。身長も思った以上に伸びず、実力も無いのに正に親バカです。夢や期待を負わせ過ぎたようです。しかし、彼女は貴重な経験を掴んだと思います。世界一、日本一の選手やトップクラスの指導者と共に過ごせたのです。 
「獅子の子落とし」と言う言葉が浮かびます。獅子は子を生むと、これを千尋の谷に投げ込み、生き残ったものばかりを養育するという言い伝えがあります。自分の子を苦難の環境に置いて、その器量をためす。という親だったかも知れません。彼女は、本日こうして広島まで来てくれる恩師や友を得ました。
 結婚の話は昨年の春頃に、京子から私にだけ「一度会ってほしい」と言ってきました。同じバレー仲間でした。食事をして感じたのは、真面目で誠実で優しい青年でした。
 日体大を卒業して2年ほど高校教師を務めていましたが、一念発起したのか柔道整復師の国家試験をパスしてからは、私の現役時代の十八番であった日本酒マッサージを取り入れてからお客さんも増えていったようです。しかし、三十路も過ぎ、女性は縁あれば結婚して子供を授かり、豊かな人生を切り開いて良識のある母親になって欲しい、その上で仕事も考えたらと一応理解を示しアドバイスもしてやったつもりです。ところが、家内は「家のことは何も出来ないのに相手に失礼だ」と暫く会うことも拒否していました。二人からも再三、両親が揃った所で話をしたい旨を要求してきました。やっと家内も宏明君に会って話も聞く意向を示したのですが、いきなり家内は「宏明君!京子は家庭のことは何も出来ませんよ。それでも良いんですか。」「苦労するのは宏明君ですよ」。宏明君は「京子さんの作った焼きうどんは美味しいです。それで十分です」。家内は納得したのかどうか分かりませんが、その後は、8月30日の結納まで慌ただしく推移して行きました。神田さんに司会をお願いしたのもその頃だったと思います。
 最後に二人には3つのことを告げて終わりとします。
1、 結婚とは両家だけでなく、このように多くの方々に支えられて結ばれるものであり、その感謝の気持ちを一生忘れることなく、皆さんとの絆を大事にして欲しい。
2、 今日、我が娘の花嫁姿を見て、悲しさ・寂しさは凡そ20%位で、ホッとした気分が80%位だと嘘偽りのない実感でございます。「結婚披露宴では、花嫁はあくまでもおしとやかに行動し、食事も控え目にする」というような基本的パターンを見事に崩してくれました。花婿の宏明君には色々と苦労があると思いますが、我儘な京子の人間性を理解した上で、仲良く暮らして下さることを心からお願い致します。
3、3つ目は私からの御礼です。ご列席の皆々様には、今後とも宏明君と京子にあたたかいご声援をお送り下さいますよう、この場をお借りしてお願い申し上げます。』
 式後は広島名物のお好み焼き「長楽」(中日ファンの店主)に20人程で伺い、その味を満喫し、翌日は宮島(厳島神社)にも参拝し、結婚式に加えて楽しい旅になった。

野球事情視察に米国へ

 今年の私の活動は、これまでにない「異常な」忙しさだ。人間の脳は同時に幾つの活動をこなすことが出来るのだろうか。最近の脳科学の研究では7つだ、という話を聞いたことがある。幾つもの役職を兼務して、その一つ一つに真剣に取り組んでいる方々は、毎日、どのように大脳を働かせているのか知りたいと思ったりもする。
 自分の多忙さについて記すと、いらぬ誤解を受けることもありそうだから止めておくが、そんなこんなで日々を過ごしているうちに、計画していた米国への旅が目前に迫った。7月13日〜26日の旅である。
 「米国野球事情視察」とは称しているが、大きな目的の一つは、ドジャースの会長補佐・国際担当だった故・生原昭宏(アイク生原)氏の足跡を訪ねることである。コーディネイターはロス在住の友永順平氏である。早大野球部の後輩にあたる友永氏が、7月9日に日米大学野球の米国側のスタッフとして来日した。大会は12日〜18日まで開催されるが、その合間に米国滞在スケジュールを詰めることになっている。
 生原氏は、福岡県立田川高校卒業後、早大野球部に入学し。捕手として活躍。卒業後、社会人野球を経て、1961年、亜細亜大学野球部監督となり、チームを一部昇格にまで育て上げ、1965年渡米。その後ドジャース傘下のスポーケンを皮切りに、オーナー(ピーター・オマーリー)の片腕として活躍した。アメリカ大リーグの経営戦略「ドジャーウェイ」を1985年に出版している。日本のプロ野球界にも陰に陽に大いに助力してくれた功労者だ。
 米国野球は、マイナーからメジャーまで裾野は広大である。生原さんの足跡を辿りながら、未来の野球像の一端を垣間見(かいま)られたら幸いだと思う。4大プロスポーツの熾烈な競争の中で、底辺の広がりの確保は重要な責務だから、米国の野球人たちがどのような努力をしているか、この眼で確かめて来たい。
 我がYBCも7月12日にジャイアンツ球場で「シリウス」と対戦した。ひじょうに残念ながら、よんどころのない事情で、私はベンチに入る時間がなかったが(わざわざベンチに立ち寄ってくれた木樽氏には申し訳なかった・・・)、選手たちには、随分と勉強になったろう。こういう機会を、数多(あまた)あるクラブチームの中から、いの一番にYBCを指名して与えてくださった巨人軍関係者の方々に(お名前はここには記さないが)深く感謝する。派手な見出しのスポーツ紙の紙面にはほとんど載らないけれども(だから、大部分のファンにはまったく知られないけれども)、プロ野球とその周辺を支えている多くの縁の下の力持ちの人たちへの感謝と敬意は、常に忘れることはできない。
 そういう思いで、2週間ほど、日本を留守にする。(YBCの皆さん、土産品でなく、土産話を期待していてくださいよ。)

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