名古屋に居たのは4日だけ(十分家族のサービスを受けた)で、2日の夜には東京に戻った。何と言っても、準備本部は7日からの練習に向けて、選手から寄せられいる練習スケジュールの配分やらなにやらの作業に追われているからである。
だからと言って、すぐに準備本部に駆けつけたわけではない。名古屋で正月を迎えたが、千葉、東京では正月の儀式を済ませてないからである。人間が社会生活を営む上で、原点回帰として、新年を迎えて一度ゼロに戻す行動が、次へのステップになることは明白である。
東京は、近くの氷川神社にお参りをし、千葉県柏市へは、一人住まいの父を訪ねて正月気分に浸った。10年前に亡くなったお袋へも、仏壇に手を合わせることによって、家族への平安とYBCへの誓いを心に刻んだ。
心身ともゼロにした私は、加藤準備本部長(新年からは「YBCフェニーズ」副部長)と二人だけの新年会をささやかに行った。
ワイン1杯だけの(私は2杯)ほろ酔い気分が昂じたのか、二人の夢は果てしない構想となって拡がりっぱなしとなり、隣の客の目と耳には多分、現世の出来事とは思えなかったであろう。しかし、それが現実味を帯びてしまうのが、私たちの「恐ろしい」ところである(と、YBCの立ち上げの時に様々に心配してくれた知人は言っていた)。
初合同練習会の最後は、東伏見教場での学生ラウンジでの事務連絡だったが、それが終わった後、選手諸君は感想やら、希望やら、質問やら、自由に様々な言葉を私に投げかけてきた。
その中で最も多かった一つは、ユニフォームについてだった。ユニフォームは何色になるのかと問う者が複数いたが、その理由はどうやらアンダーシャツのせいらしい。
今、着用している(例えば学校の野球部の)アンダーシャツの色と近ければそれをそのまま使うが、そうでなければYBCのユニフォームに適合する色のものを新たに購入しようというのだ。
なるほど、選手諸君の関心は、もうYBCの新しいユニフォームに身を包んで、グランドで打球をさばき、長打をはなち、速球を投げ・・・という自分の躍動する姿を思い描くことなのだ。
新しいことに着手し、それに踏み出すことの楽しさと喜びは、まず第一にそのように新たな自分の姿を想像することである。私自身も、生きてきて区切りとなる節目節目で、これから改まる自己像を映像化して、心がひきしまり、また心がうきうきすることを味わってきた。
たぶん、ユニフォームについては、今、私と選手諸君は同じ喜びを共有しているのではないだろうか。つまり、新たな自分の姿を心中にくっきりと描き出す喜びを。
ふぉーっ、でなかった、ふー・・・。千葉県野球連盟への加入申請書類を、今、送り終えた。これで、川嶋理事長との約束の最低ラインを果たせた。加藤準備本部長も、年末を迎えてさすがに本業の方に時間を割かざるをえなくなり、書類準備にまで手が回りかねる状態になっていた。
というわけで、昨夜から今日の夕方まで大奮闘。久々に徹夜に近い時間を過ごした。この分では「谷沢走」は31日まで続くかもしれない。そうなれば「谷沢マラソン」である。
もっとも、広報担当の3人(加藤・上村・杉村)は、なんと31日午後7時から準備本部で広報会議を行うという。「理事長は、出席せずに、少し英気を養ってください」という言葉に甘えて、大晦日だけは家族とのプライベートな時間を持とうかとも思う。(谷沢家の家族よ、ここを読んでくれよ!)
それにしても、31日に会議なんて、よほど孤独な人間関係(「もてない男たち」とも言う)なのかもしれない。加藤老体はともかく、上村、杉村の両君は独身なのだから、なんで?と思うのは私一人だろうか。どうか、YBCのスタッフの皆さん、私にこんな憎まれ口を叩かせないように、少しはのんびりしてくださいよ。
プロフィール

名前 谷沢健一 KenichiYazawa
生年月日 1947.9.22
出身地 千葉県
出身校 習志野高〜早稲田大学
在籍球団 中日 背番号 41
投打 左投左打
通算成績
安2062/本273/点969/率.302
1987年引退
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