被災地・気仙沼市にて野球指導 - YBC前進2

被災地・気仙沼市にて野球指導

 大震災からちょうど三か月目の6月11日、私は気仙沼市に着いた。YBCメンバー(松村コーチ兼任・川村主将・山賀、平野副将、谷澤副部長)とともに、気仙沼の子供たちと野球を楽しむためである。

 その20日ほど前に、私は柏市地域づくり推進室に電話をかけた。詫びの電話である。その引き金は、今年になってYBCの選手たちから不満の声が強まったことである。この1,2年の間に加わった選手たちは、6年前の創設時の事情を知らない。利根川河川敷グラウンドを使えるようになるまで、練習場所の確保にどれだけ苦労したかを、彼らは知らない。今年に入って、チームの首脳陣が若返った。彼らなら、私もあまり顔を出さなくてもいいと思い、ともにYBCをたちあげ、5年間も私につきあってくれた加藤前部長も「完全引退」したので、資金運用をはじめチームの運営のほぼ全権を、部長・監督らに委ねた。彼らもまた、創設時から苦労をともにしてきたから、これまでの事情は十分に知っている。ただ残念ながら、それが大部分の選手たちにあまり伝わっていないようだった。

 これまでは苦労も笑いとばしてきた。「野球ができる楽しさ・喜び」がYBCの原点だからだ。もちろん、その延長に「勝つ喜び」がある。そういうやっとの思いで確保できたグランドなのに、新体制となってから不満の声が多く私の耳にも聞こえてきた。交通の便の悪い、葦などが群生してボールが紛失が多すぎる、水道もなく、土埃を抑えられない等々……、かつては自ら「ジプシー球団(ジプシーは差別語だというから不適切な表現だろうが敢えて記す)」と称して転々とした。その苦難はこのブログにも記してあるから、選手やスタッフも読んでくれていると私は信じ、理解してくれていると思い込んでいた。グランドの不備について不平不満を声高に言う者がいれば、部長・監督らがたしなめてくれると思っていた。それに、そんな悪条件でも現監督らの指導の良きを得て、昨年までは千葉県クラブチームのナンバーワンの戦績を残し続けられたのだから。

 だが、気になることがいくつかあった。「自分たちの不満は当然だ」というような声が公然と語られているのではないかと私は懸念した。もしもそんな声が柏市の窓口である地域づくり推進室に浴びせられていたら、まことに申し訳ないという危惧が生まれた。それで、その確認と詫びを言いたかったのである。

 今年度、地域づくり推進室に改組されたが、前身のホームタウン推進室の時には小貫室長が我々の活動を大変よく理解してくれた。公僕である人のもつ独特の言い回しで、こちらへの配慮と遠慮のもと、小貫氏はYBCをサポートしてくれた。高橋氏もまた同じである。6年前のYBC設立当時は、秘書課に勤務しておられ、グラウンド探しにも骨を折ってくれた。あいにく柏市の野球環境は現在以上に良くなかったので、目を見張るような成果は生まれなかったが、真っ先にCP会員になってくれた。そして、それは今までずっと続いている。(ちなみにかつて柏市役所軟式野球部が全国大会へ参加した頃、小貫氏も高橋氏もそのメンバーだった。)だから、まだまだ地元柏市に十分な地域貢献をはたしていない私としては、県行政出向から戻った高橋氏に頼むことは抑え、頼まれることはずべてを行なうつもりでいたのである。

  私のかけた電話は意外なことになった。高橋氏の第一声は「今、気仙沼にいるんですよ」

私「えー、何でまた・・それは大変ですね」

高橋氏「震災後、柏市も災害支援や復興作業に協力したいと、東北の各市町村へ連絡したところ、唯一と言ってもいいほど行政機能が動いていたのが気仙沼市役所だったのです」

私「姉妹都市では無 いのですね」

高橋氏「そうなんです。すでに4月から職員と市民の会とで10名の班を組んで、週交代で7月末まで(今のところの予定ですが)支援致します」

私「私に何かできることがあったら言って下さい」

高橋氏「子供たちが可哀そうで・・」

私「野球教室でもやりますか」

高橋氏「やって頂けますか!そうすれば気仙沼市も柏市も復興と支援活動に元気がでます。何よりも子供たちに明るさが戻ってくれば意義がありますから。是非お願いします」

乗せ上手な高橋氏は「具体的に決まり次第連絡します」と言って、電話は切れた。

 6月5日、柏市を訪ねた。野球教室開催が11日に決定し、その打合せに出向いた。窪井部長から柏市が被災者の受け入れを積極的に行っていることなど、災害活動の現状を伺った。災害派遣協働推進課へ申請した車の通行書を頂戴して準備が整った。

 出発は11日深夜となった。10日のCSプロ野球ニュース(PBN)のスタジオ出演を終え、深夜0時半に谷澤副部長が、川村・山賀両君も同乗して、TV局に迎えに来た。PBNの武田ディレクターも取材をしたいと言って車に乗り込み、さらに途中柏市に寄って、松村君・平野君も加わり、我がYBC副部長の自家用車が東北道へ入ったのは午前2時を過ぎていた。

 降りしきる雨の中、何度か小休憩しながら気仙沼市へ着いたのは朝9時頃だった。運転者はもちろんのこと、全員、睡眠不足だったが、心は高揚している。正午に避難所となっている気仙沼小学校で、再び柏市から駆けつけてくる高橋氏と打ち合わせることになっていたが、この雨では野球教室も室内での簡単なものになる、残念無念と思いながら、気仙沼港を目指す車の窓から外を眺め続けた。細く曲がりくねった山間の路を抜けると、不意に眼下に惨状の広がった。ただただ唖然とするだけだった。TVニュースの画面とはまるで違う。火災で黒焦げの大型漁船が放置され、漁業組合や船着場、商店街の建造物に残っている大津波の爪痕は、言葉では言い尽くせぬ光景だ。瓦礫は至る所に堆積していた。強烈な磯の香りを嗅ぎながら、もっとも衝撃を受けたのは、海面が陸地より高く見えることだった。おそらく防波堤も流されてしまっているからだろう。今、海が陸より高いのは理屈に合わない。だがだが見てもそうとしか見えないのだ。気仙沼の人たちの恐怖の一部を実感できた。そして、それだけでも私にはこのうえない恐ろしさに充ちた光景だった。

気仙沼野球教室
気仙沼野球教室

  高台に位置する気仙沼小では、校舎前の広いグラウンドでサッカースクールが始まろうとしていた。再び強くなった雨の中で、世田谷区のサッカー団体の活動という。世田谷には全国でも有数の活動をしているスポーツNPOがあることを思い出した。体育館に入って行くと、柏市のネームが入った黄色いジャンバーの人がいたのでで声を掛けてみた。やはり柏市の応援部隊だった。「谷沢さんですか。ご苦労様です。高橋課長から伺っています」とにこやかに言う。「今日から次のグループが来るので交代します。こちらの被災者は75名ですので4人で対処してますが、グラウンドの向こうの中学校体育館には250名おりますので、こちらも6人で動いています。」応援部隊は体育館の壇上の奥で寝泊まりしているそうで、食事も避難の方々と同じく、「ボランティアの皆さんが用意してくれるものをいただいています」と言う。

 中学校の校舎へ行ってみた。グランドは砂利が敷き詰められ、完成した架設住宅には入居者がいたが、たまたま体育館で、市長が被災者から強い口調で要求を言われている集会を目撃した。柏市職員の言では「9時から集会が始まって、もう3時間ほどになりますね。すでに避難後3か月になりますのに、先の見えないことに苛立っているんですよ」

  窪井・高橋両氏が柏から到着した知らせが入り、小学校へ戻った。そこには白いユニフォーム姿で待っていた人物がいた。「気仙沼小学校野球部の監督の菅原洋です。市の農林課の職員なんです」

私「小学校で野球部があるとは珍しいですね」

菅原監督「当初はスポーツ少年団でしたが、指導する者がいなくて私がやり始めたら、すっかり夢中になって10年も経つうちにいつのまにか野球部に変わっていました」

 日頃の行いがいい(?)せいか、昼頃から雨もすっかり上がり快晴となった。「晴れ男、健在!」と心の中で呟いた。さっそくユニフォームに着替えた。YBCの面々はフェニーズの、私は現役時代のものだ。

監督「今日は南気仙沼小から13名、うちから15名です。南気仙沼小は津波でやられて、子供たちの野球用具はすべて流されてしまいました。うちと合同で練習もしましたが、東北の子は人見知りをしてなかなか打ち解けあってくれません」

私 「今、何が必要でしょうか。今日のために何を用意しようかと熟慮しましたが、とにかく監督さんに聞いてからでも遅くはないと思いましてね。ただ、現役プロ選手の色紙とサインボールをいくつか用意しています。配布は菅原監督にお任せします」(子どもたちのためにサインしてくれた岩瀬・井端・荒木・浅尾の中日勢と、中村・中島・栗山・岸の西武勢の諸君、ご協力ありがとう)私の野球カードを持っていったが、これは子供たちよりも大人の方々のほうが笑顔だった。

 窪井部長の挨拶があり、次いで菅原監督の黙祷の指示と私の挨拶のあと、野球教室が始まった。子供たちに「プロ野球選手になりたい人は?」と聞くとほぼ全員が元気に手を挙げる。まずは、川村主将が先頭に立ってウォーミングアップ。続いて、泥濘を避け、土の固い所を選んでの走塁練習、キャッチボールの基本、トスバッティング、ゴロ捕球と基本練習を順番に行なった。そのつど、説明を加え、実動作を繰り返した。子供たちは熱心・夢中、私達の指導に集中する。 やがて、ティー打撃と守備練習になると、「俺、俺」とアピールする子がどんどん出てきた。輝くような笑顔と真剣なまなざしが溢れた。

気仙沼野球教室
気仙沼野球教室
気仙沼野球教室
気仙沼野球教室

 にこやかに子供たちを見守っている中に、佐藤氏がいた。佐藤真海(まみ)さんの父上である。祖父から真海さんまで3代続く早稲田マン&ウーマンである。真海さんは、仙台育英高で陸上競技部員だったが、大学時代に骨肉腫のため、右膝下を失なったが、2004年、08年と2度もパラリンピックに出場し、走り幅跳びで6位入賞を果たしている。(彼女のブログも著書の『夢を跳ぶ―パラリンピック・アスリートの挑戦』 岩波ジュニア新書もぜひ読んでほしい)気仙沼出身の彼女とは、6月9日に歓談した。(仙台育英と言えば、YBCの加藤前部長が長年、同校の顧問であって、彼もすでに仙台や多賀城などに3度ボランティアに行っている。我々のYBC精神は生きていると思うと嬉しい。)

 あっと言う間に2時間半が過ぎていた。いつの間にか2つの小学校の子供たちは交じり合っていた。菅原監督の「子供たちがスキップして帰れるように」という願いは実現した。私達もまた同じ心境で気仙沼を辞した。天気同様、晴れ晴れとした気分だ。そんな気持ちを与えてくれた気仙沼の子供たちと、関係した方々に心から感謝したい。

気仙沼野球教室

 帰京早々に菅原監督からメールをいただいた。私信であるが、勝手に一部を引用させてもらう。

「野球教室での子供たちの笑顔に,私たち大人も元気をいただきました。一番はしゃいでいたのは子供たちではなく,大人の私たちの方だったかもしれません。」

「野球教室の翌日の練習では,谷沢選手に教わったことをひとつひとつ確認しながら練習に取組んでいた子供たちがおりました。」

「子供たちの声や動きにも明らかに変化が見られました。(略)震災から3ヶ月経たこの日に再び自分の夢や目標に向けて歩み始めたようです。その子供たちをこれからも応援していきたいと思います。」

なんと嬉しい言葉が並んでいるメールだろうか。

追記・さきほど、高橋課長から連絡があり、8月に気仙沼の子供たちを柏へ招待して楽しんでもらう企画を立案中だと思う。ぜひ実現させてほしいと思う。ところで、柏の子供たちにもティーボールか野球かで楽しんでもらわなければ。我々の本拠地は柏市なのだから。YBCの若い諸君よ、自分だけが笑顔になるのではなく、人とともに笑顔を浮かべようぜ!

スポーツフェスタかしわ2010

スポーツフェスタかしわ2010

昨年、新型インフルエンザで休止された「スポーツフェスタかしわ」が、20日無事盛況の下に終えた。今回で5回目だが、YBCフェニーズは一昨年に続き2回目の参加である。J1復活を果たした柏レイソルをはじめ、新たに加わったJR東日本硬式野球部の参加で7団体6種目となり、子供たち(男の子も女の子も)は大変喜んでくれた。
 日立柏体育館に早めに到着すると、柏市の小貫氏ホームタウン推進室長が待ち構えていたかのように、わざわざ出迎えてくれた。このようにアスリートへ敬意を抱いてくれる人たちは近年では少なくなった。

スポーツフェスタかしわ2010
レイソルチアーリーダー
スポーツフェスタかしわ2010

 オープニングセレモニーは、華やかなレイソルチアーリーダーが作る花道を通って入場。参加団体の3分間自己紹介では、YBCフェニーズは山賀君が盗塁のスタートからスライディングを鮮やかに見せ、さらに前転宙返りもサービス。川村君はプロ野球選手の物真似である。だが子供たちはなかなか分からない。「イチロー」「亀井」「青木だ!」すべて外れ。正解はカープの前田智徳選手だった。蔵重助監督は私の現役時代の打撃フォーム。とくに打ち合わせもしなかったが、その腰の振り方など、よく似ていた。私は子供たちの中に割って入り、物真似の正解を求めたが、子供たちはわからない。当然と言えば当然だが、スポーツ人気の推移はとにかく速い。
 他の団体のパフォーマンスは、バスケはシュート、サッカーはリフティングだった。3分間だったのでそれ以上は無理なのかも知れない。
 リハビリティーション(介護士)病院のバレーボールチームの紹介もあったが、日頃の活動を知りたくなった。女子バスケチームは強豪であり、NHKの「スポーツ大陸」の取材も入った。

スポーツフェスタかしわ2010
川村主将、山賀副将と子供達
スポーツフェスタかしわ2010
蔵重助監督によるピッチング指導
スポーツフェスタかしわ2010
JR東日本、大前選手による指導
スポーツフェスタかしわ2010
川村主将によるバッティング指導
スポーツフェスタかしわ2010


多目的グランドでの野球教室は、約70名の小学生(スポーツ団4チーム)が受講した。JR東日本も湯澤マネージャー引率の下、4名の選手たちが先生役になって、ポジション別に分けてYBCとの合同教室が始まった。初めての試みだったが、融合しあった指導は子供たちにも有意義だったと思う。私自身も子どもと触れ合うのはひじょうに楽しい。ただ、90分の指導だけでは物足りない。もっと時間を割けるといいのだが、フェスタ(祭り)だから、しかたがないのだろう。
 これは私の勝手な推測だが、わずか室員2名のホームタウン推進室が参加小中学生だけでも250名の行事を取り仕切るのだから、大変だろうと思う。もちろん他の部署からの応援もあったろうし、外郭団体のバックアップもあるだろうが、下打合せだけでも時間がずいぶん取られるに違いない。ふだん、打合せといえば、TV局や新聞などのメディアと大学の関係者との打合せが大半である私にはおそらく見えない部分が少なくないのだろう。だから、その労苦はわからないのだが、このスポーツフェスタに市関係者も市民も今後いっそう積極的に関わってほしいと切望する。
 JR東日本チームも同じ思いのようで(つまり、ボランティア活動としていっそう中身の充実した野球教室を行なおうという思い)、12月19日に<JR東日本+YBC>野球教室をJR東日本の布施グランドで開催する。
 その後、体育館に戻り、柏市レクレーション協会・松戸良一氏のしきりで、子供たちと共にゲームに講じてふれあいを高めた。一年に一度のフェスタだけに、もっともっと保護者の皆さんの参加があると、地域活動の輪が膨らむと思った一日であった。

スポーツフェスタかしわ2010
柏レイソル、JXサンフラワーズ、日立サンロッカーズ、柏エンゼル・クロス、YBCフェニーズ、JR東日本硬式野球部、積水化学女子陸上部、とスタッフのみなさん

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YBCフェニーズは次のステップへ

 千葉ロッテマリーンズ球団の皆さん日本一おめでとう。二転三転ならぬ九転十転のゲーム展開を堪能させてもらいました。惜しくも敗戦に至ったドラゴンズ球団の皆さん、リーグ優勝のチームとして堂々とした戦いを見せてもらいました。この悔しさは来季に晴らして下さい。日本シリーズに挑めなかった10球団の皆さんも既に戦力の充実を目指して鍛錬の日々ではないかと思います。
 さて、その日本シリーズの最中、私は利根川河川敷グランド(新PWP)に飛んで行った。YBCフェニーズの新人事をスタッフ・選手へ告知するためである。
 この人事は、前々から加藤部長とも相談していたことだが、先月11日の埼玉市長杯(JABA公式戦)で横浜金港クラブとの延長14回の熱戦に敗れた後、私が総監督に、加藤部長が顧問に、小松副部長が部長に、久保田助監督が監督に、谷澤広報が副部長にと、来季に向けてスタッフを一新することにした。
 続けて、23日の関東クラブ選手権(足利市開催)の当日、蔵重投手コーチに助監督を受けてもらい、池尻選手にはコーチ兼任で「松村コーチ兼任と同様、若手の育成を頼む」との要請して、快諾を得た。
 また、7月に中目黒アトラスタワー3Fにラトビア国(バルト3国の一つ)日本アンテナショップをオープンして多忙な川島容次郎コーチに、「君は肩書きを変更せずに留任してくれないか」と頼むと、「新人事は大賛成だ」と喜んでくれた。
 この若返りで(谷沢・加藤・川島は60代半ば、久保田・藏重・小松は40代前半)、YBCも清新さが溢れるだろう。組織は常に滑らかな世代交代が図られなければならない。私たちはどれほど多くの”老害”を見てきたことか。
 対外的にも、これまで千葉県野球連盟の諸会議に出席していた小松君も、今後はその席上、議題について自身の判断で即決できるわけだし、久保田君も例えば千葉の社会人大学交流戦で、クラブチーム1位の監督として胸を張って指揮を執ることができるだろう。
 選手の人事も、川村主将と井原副将を留任させ、新たに山賀選手を副将に加えたこれも、今後は久保田監督。小松部長ら新スタッフが決めていくことになる。
 思えばYBC創設から5年が経過したのも忘却するくらいだった。伊東・高木・山崎選手らの創設時のメンバーもまだ頑張ってくれており、私なりに感慨も深いものがある。去る選手来る選手とはそれが"縁"だというしかないが、習志野高野球部の後輩・田中君(甲子園優勝時の遊撃手)の子息が今年はクリンナップで活躍してくれた。今後もどんな縁に恵まれるか楽しみである。
 とはいえ、縁は自らつくりだすこともできる。人間たるもの、積極的に関わりを求めなければならない。私について言えば、今後はグランドには顔を出す回数がこれまでよりも減るだろう。だが、選手たちは何時でも私に電話をかけてきて、日程を調整し、個人指導を受けることができるのだ。昨年までに比べると、今年はそれがやや少ない。独立リーグへ入団した選手たちは、時にはしつこいくらいに、アドバイスを求めに来た。YBCに「骨を埋める」選手にも、それを臨みたい。
 これまで通り、NPO法人理事長として大いにチームを支えて行かねばならない。地元柏市の行政とも連絡をいっそう密にして、地域貢献も積極的に提案し実行する必要がある。また、来年2月の「谷沢旗大会」も3回目を迎える。その開会式または決勝戦は県営柏の葉野球場を使用することになった。参加希望チームもどんどん増加していると、運営担当者から報告されている。
 今年の想い出を語るには早すぎるが、春季公式戦で延長17回のゲームを制したことは心に深く刻まれている。その原動力は、スタッフ・選手全員で協力して作るチームに進化してきたことであり、それが何よりも嬉しい。"初心を保ち、進化を求め"がこれからも実現されることを期すばかりである。

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