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   <title>谷沢健一のニューアマチュアリズム</title>
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   <updated>2011-08-31T06:00:14Z</updated>
   <subtitle>近年の野球界の現状を鑑みて、アマチュア野球とプロフェショナル野球のささやかな架け橋の一つを作ろうと願っています。</subtitle>
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   <title>・・・ふと思うこと004</title>
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   <published>2011-08-31T05:55:51Z</published>
   <updated>2011-08-31T06:00:14Z</updated>
   
   <summary>　少子化の時代を迎えて久しくなったが、スポーツ各界の心ある人たちはひそかに憂慮し...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
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      <![CDATA[　少子化の時代を迎えて久しくなったが、スポーツ各界の心ある人たちはひそかに憂慮している。それは、子どもたちのスポーツ離れと各競技への分散である。

　前者については、昔に比べて、子どもたちが戸外でのびのびと遊び回る環境が失われ、室内（自宅だけでなく塾など）に閉じこもることが多くなったと言われており、多くのおとなたちがそれを実感しているだろう。

　後者については、一部のスポーツ関係者が痛感している。かつては、子どもたちが行っていた競技は野球をはじめ限られた数だったが、現在では中学生段階でもゴルフ、体操、フェンシング、スノーボード等々、様々な競技が子どもたちに好まれている。子どもの数が減り、その一方で競技の数が増えれば、一競技当たりの人数が減少するのは当然である。

　スポーツ界全体としては、スポーツ人口の比率が高まるのは好ましい傾向ではあるが、野球という一競技に限れば、望ましいとはあまりいえない。私にしても、野球人の一人として、了見が狭いかも知れないが、やはり最もファンの多い野球型スポーツの裾野が狭まるのは残念でしかたがない。

　柏市は、いわずと知れた柏レイソルの地元だ。サッカー少年少女が増加するのは当然である。しかし、だからといって、野球少年少女が減少するのに手を拱（こまね）いて傍観しているのは情けないと常々危惧していた。ＹＢＣのこの５年間の活動の中で、徐々にかつ確実に柏市との関係も密になってきており、もっとも底辺というべき小学生にスポーツそして野球型競技の楽しさを伝えたいと思っていた。

　たまたま、柏市地域づくり推進部の高橋直資課長と松山正史副参事との懇談したとき、小学生向きの野球型競技としてティーボールの話をした。高橋課長は、ティーボールはまだ一般に馴染みが薄いから、初めは講習会のような形が良いのではないかと言う。その通りだと私も思って、6月に柏市役所を訪問した折りに、小冊子「ティーボール入門」を進呈しておいた。

　それが結実して、夏休みも僅かとなった27日、柏市主催「第1回 柏市ティーボール教室」が実施された。これはＹＢＣが創設以来ずっと目的にしてきた地域貢献の一つであり、野球教室の最年少版といっていい。さいわい、柏市が主催者として事を進めてくれたお陰で、YBCは脇役ですんで大いに助かった。柏市では広報部などもサポートしてくれた。

　松山副参事は、全国ティーボール大会が西武ドームで行われた8月7日、わざわざ見学に足を運んでくれた。それで、ティーボールが地域づくりや児童の健全な育成に寄与できると判断されたに違いない。（興味のある方は、ＮＰＯ法人日本ティーボール協会のＨＰを参照していただきたい。）

　松山氏はかつて教育委員会で仕事をしていたそうで、小中学校の事情に明るい。その関わりで、この企画の呼びかけに最初に手を挙げてくれたのが、柏市立第六小学校の馬場秀樹校長だった。同校にはティーボール用具が3セットもあり、3〜4年生の体育の必須競技として導入を決めたが、精通している教諭がいないのだという。

　その馬場校長は、当日8時半、すでにトレーニングウエア―姿でお待ちだった。用意周到である。ＹＢＣからは久保田監督、川村主将、山賀・平野両副主将、新沼麗子マネ、谷澤副部長が参加して、子どもたちと保護者の皆さんに楽しさをアピールしてくれた。夏休み最後の週末だから、各種の行事と重なったり、宿題のやり残しを片付けたりで、親子ともども忙しいせいか、参加者は約30名で、少し寂しい数だったが、とにかく第一回目を開催できたのは意義があるだろう。回を追うごとに参加者が増えるのは、谷沢旗争奪少年野球大会がそうであるように、いかにもＹＢＣらしい。<br />


<div class="centerimg"><img alt="ティーボール教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tball001.jpg" width="450" height="300" /></div>まずはティーボールのルール説明<br />

<div class="centerimg"><img alt="ティーボール教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tball002.jpg" width="450" height="300" /></div>久保田監督のバッティング指導<br />

<div class="centerimg"><img alt="ティーボール教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tball003.jpg" width="450" height="300" /></div>子供達も真剣に取り組んでくれました。<br />

<div class="centerimg"><img alt="ティーボール教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tball004.jpg" width="450" height="300" /></div>馬場校長の華麗なバッティング<br />

<div class="centerimg"><img alt="ティーボール教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tball005.jpg" width="450" height="300" /></div>最後は全員で写真撮影<br />


　ティーボールといえば、2008年に日本ティーボール協会の事務局から「2010年の千葉国体で、ティーボールが公開競技になったので、谷沢さんに是非とも協力を」という依頼があった。そのつもりでいたら、しばらくして、「国体は当協会ではなく、千葉県ティーボール連盟が取り仕切る。だが、同連盟は何年もの間、活動らしい活動をしていないというので、もし谷沢さんに協力の要請があったら是非とも引き受けてほしい」という連絡がきた。そうなのかと思って、やはりそのつもりでいたが、そのまま国体は終わってしまった。

　あとで聞かされた話では、千葉県ティーボール連盟はもはや組織の態をなしていないが、一応は社会人野球の日本野球連盟の傘下なので、日本野球連盟に所属する千葉県野球連盟や印西市体育協会が運営に当たったそうだ。我がＹＢＣフェニーズも千葉県野球連盟に加盟しているが、そのあたりの事情は何が何なのか、その時も今もよくわからない。

　ティーボールは1988年に国際野球連盟と国際ソフトボール連盟によって考案された。その５年後の1993年に日本ティーボール協会が発足したとき、関係者に乞われて私は深くも考えずに役員の一人になった。野球型競技の底辺拡大という大義にひかれたからである。会長は海部俊樹元首相だった（現在もそうである）。名称からして当然、日本のティーボールを総括する組織だと思っていたが、あとで聞いた話では、日本野球連盟に関わる人たちの別組織もあるという。つまり、ティーボール界は二派に分裂していたのである。

　こういうことは、ティーボールに限らず、アマチュアスポーツ界ではそう珍しいことではないらしい。プロ野球も、1９５０年のセパ分裂や、近年では例の近鉄球団の消滅と楽天球団の誕生を巡る大騒動があったのだから、大きな口は叩けないが、それでもセパ両リーグの上部組織（日本野球機構）ができていて、最低限の機能は発揮されている。

　別に統一組織がなくても、野球型競技の底辺が拡大することはいいことだから、千葉県ティーボール連盟が（それなりの予算がおりる国体のような大会だけでなく）常時、活動してくれることを切望している。大人たちの思わくや面子などはどうでもいい。子どもたちが野球型競技に興味を抱き、さらにすすんでゲームを楽しんでくれれば、それで十分である。






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より沢山の方々に知っていただく為に下記に参加しました。
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   <title>・・・ふと思うこと003</title>
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   <published>2011-08-26T14:40:24Z</published>
   <updated>2011-08-26T14:43:20Z</updated>
   
   <summary> 　3月22日、読売巨人軍と東京大学硬式野球部の交流戦が行われる予定だった。プロ...</summary>
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      <![CDATA[
　3月22日、読売巨人軍と東京大学硬式野球部の交流戦が行われる予定だった。プロ野球そのものの地盤沈下がゆっくり始まっている中で、球界のリーダーであると自他ともに認めるジャイアンツと清武英利ＧＭが、アマチュア野球にこれまで以上に目を注いでくれるようになったお陰である。

　しかし、周知のように3.11の震災で、交流戦は中止になった。当然のこととはいえ、やはり残念至極でもあった。プロアマの断絶がどんどん解消されている昨今の風潮とはいえ、金銭に関わるプロを教育に関わる大学野球が（建前だけかも知れないが）忌避する土壌は十分に開拓されているとはいえない。その中での巨人ー東大戦だから、ひじょうに有意義だと喜んでいた私はがっかりした。

　ところが、その企画が復活し、8月23日、交流戦が実現した。直前の数日は降雨だったので、当日の天候が心配されたが、首都圏だけが夏日に恵まれた。内心では、この異変は（このブログを長く読んでくださっている方にはおわかりのように）まさに「谷沢晴れ」だと思ったが、それを口に出しても失笑を買うだけだろうから、黙って我が天気運にほくそ笑むだけにした。

試合開始は16時30分。前夜、コトケンこと琴賀岡主務（彼は高校まで剣道一筋だったのに、なぜか大学で野球部に来た。東大野球部は門戸が広い！）から連絡があったので、一誠寮発のバスに便乗して、部員諸君と同行することにした。

12時過ぎに寮に着くと、山形合宿で真っ黒に日焼けした麒麟こと高山久成・ウックンこと内海翔太の両君と久しぶりに対面。私がわざと直立不動で「お帰りなさい。今日からまた宜しく」と挨拶すると、笑ってくれた。これは先日来、私がプロ野球ニュースのスタッフたちに受けた戯れだったので、ついやってしまった。

御手洗監督から合宿の話をいろいろとお聞きしながら、Ｔシャツと白のユニフォームに着替えた。このTシャツは、嬉しいことにこの6月に4年生から贈られたもので、「ＴＯＫＹＯ・４１」と刺繍の入っている。その装いでバスに乗り込んだ。東大野球部のバス移動は、たとえ何時間であっても、私語禁止が不文律である。全員、黙然(もくねん)としているが、特に今日は車内に緊張感が張りつめている。

ジャイアンツ球場は、イースタンリーグの対東北楽天戦の最中で、観客も大勢だった。つまり、ジャイアンツは変則ダブルヘッダーとなる。緊迫した試合が終わるまで、我々は2年前に新装なった室内練習場で打撃練習を開始。久しぶりだったせいか、部員たちからティー打撃指導の要請が相次いだ。

試合中はベンチの隅でスコアを付けながら静観した。途中から東大には慣れないナイトゲームとなって守備ミスなども出たが、プロと直に交流するのはさすがに様々な点で感じるところがあっただろう。帰り際にお会いした橋本ＯＢ会長も同様の言葉を発しておられた。

<div class="centerimg"><img alt="スコアを付けながら静観" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tvsg001.jpg" width="450" height="300" /></div>


結果は0対11の完敗。しかし、5回までは先発・鈴木翔太君が隠善選手の2ランだけに抑えた。制球・テンポがともに良く、ディフェンスにもリズムが生まれて、内海君の2度の好プレー、高山君のスライディングキャッチ、タッチーこと舘洋平君は横っ飛びでライナーを好捕し、鈴木投手を助けた。しかし、惜しいかな、6回から登板したゴルフィンこと平泉豪祐君が乱調で、試合はワンサイドになった。打撃も低調（これは私にも責任がある）で、育成選手の左腕・岸敬介投手に7イニング1安打と完璧に抑え込まれた。

<div class="centerimg"><img alt="太田" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tvsg003.jpg" width="450" height="300" /></div>

巨人のスタメンは、一番松本、二番隠善、三番大田、四番中井、五番田中、六番山本、七番鬼屋敷、八番福元、九番土井。育成選手も2名いたが、１軍レベルの選手も複数加わっていた。けっして「たかが東大ごとき」とはなめてかかることなく、真剣勝負に徹してくれたことは、実にありがたかった。

<div class="centerimg"><img alt="スコアボード" src="http://www.yazawa2005.jp/images/tvsg002.jpg" width="450" height="300" /></div>

ジャイアンツの方々は、いつも（何しろYBCの創設時のトライアウト以来、何度もお世話になっているのだ）事細かく気を配ってくださる。営業企画部・青木丈典氏が終始いろいろと案内・誘導してくれた。川相二軍監督、吉原孝介育成チーフコーチ、上田育成コーチに感謝の御礼に伺うと「恐縮です」とおっしゃるが、恐縮はこちらの方である。スポーツ紙にも掲載されている両チーム揃っての記念写真を撮影したが、この時には、史上初といっていいこの交流戦の実現に尽力できたことにいささかの感慨を味わった。
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   <title>・・ふと思うこと002</title>
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   <published>2011-08-22T11:47:49Z</published>
   <updated>2011-08-22T11:51:17Z</updated>
   
   <summary>　8月19日、「気仙沼少年野球チーム」が柏市にやって来た。引率の菅原監督以下保護...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
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      <![CDATA[　8月19日、「気仙沼少年野球チーム」が柏市にやって来た。引率の菅原監督以下保護者の方々を含めると総勢50名を超える数である。バスに7時間も揺られての来柏である。到着してすぐに宿泊先を提供してくれた麗澤大学の研修寮に入ったが、そこで休む間もなく、「東日本大震災を支援する市民の会」の懇親会の席に臨んでくれた。

　私も6月に気仙沼へ行ったYBCのメンバーとともに出席した。二ヶ月ぶりの再会という感じもなく、つい昨日いっしょに野球をやったような気がするほど、記憶は鮮明だった。

　すぐに目に入ったのは、真っ黒に日焼けした気仙沼小・南気仙沼小の小学生たちで、トリプル君（三つ子君）たちも元気そのものだった。

　柏市側は、秋山浩保市長をはじめ、寺嶋哲生商工会議所会頭ら、市民の会の方々約90名が顔を揃えて、子どもたちを歓待した。

　私も心から再会を楽しみだったことを少しでも形で示すべく、ささやかながらプレゼントを用意した。先日、電話で監督から「中古品のグラブなどの義援品は全国からたくさん戴いたが、やはり新品の(使い手の癖のついていない)のを子どもたちに与えたい」という話を聞いていたので、用具を全て失った気仙沼南小の子どもたちには新品のミットとグラブを2チーム分贈った。

　気仙沼小の子どもたちには、実用品以上に心にかかわるものをと考えて、彼らの憧れの対象であるプロ野球選手の「言葉」をプレゼントすることに決めた。その言葉で子どもたちの夢と希望がいっそう増幅することになれば、私も大いに嬉しいからである。

　それで、17日のナゴヤドームでの中日ー巨人戦の試合前に、攻守走とも子どもたちの手本になるストイックな名選手・荒木雅博内野手からバットを1本、頂戴した。中日側はそれだけにして、さらに、巨人側にも協力してもらおうと勝手に決めて、トップの原監督に依頼した。好漢・原辰徳氏は満面に笑みをたたえて、「いいことをおやりですね，谷沢さん！」と快く引き受けてくれ、荒木君の新品のバットに一筆、筆ならぬマジックペンをふるってくれた。曰く「がんばろう！結束」。

<div class="centerimg"><img alt="夢と希望に満ち溢れたバット" src="http://www.yazawa2005.jp/images/20110819_001.jpg" width="450" height="325" /></div>

　できることなら、子どもたちが滞在する三日間ずっと接していたかったのだが、翌日は北海道へ飛ばなければならない。（もちろん、ビールを楽しむ避暑のためではない。自治総合センター/北海道/旭川市の3者主催「宝くじスポーツフェア　ドリームベースボール」に参加するためである。）

<div class="centerimg"><img alt="気仙沼小・南気仙沼小の小学生たち" src="http://www.yazawa2005.jp/images/20110819_002.jpg" width="450" height="300" /></div>

　それで償いとして、たけなわの宴を抜け出し、子どもたちの部屋に行って、いろいろ質問を受けて、臨時の野球教室を行った。こどもたちの口からははほんとうに素直に様々な質問が飛び出す。それがまた楽しくもあり、時には大いにこちらの参考にもなる。

　このあと、子どもたちには千葉マリン球場でのプロ野球観戦や柏市の小学生チームとの親善試合などが用意されている。多くの大人たちがいつも見守っていることを、心のどこかに留めてくれればと思う。

　なお、「東日本大震災復興を支援する柏市民の会」では、8月27日〜10月8日まで8日間単位で、気仙沼市での活動する市民ボランティアを募っていることを付け加えておく。]]>
      
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   <title>・・・ふと思うこと 001</title>
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   <published>2011-08-17T01:17:05Z</published>
   <updated>2011-08-17T01:30:11Z</updated>
   
   <summary>このブログの書き込みも、ずいぶん間遠になった。それを反省して、断片的でもかまわず...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
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      このブログの書き込みも、ずいぶん間遠になった。それを反省して、断片的でもかまわずに、その時々の所感をもっと気軽に書き込むことにした。題して「・・・ふと思うこと」。目標は100回で、まずはその第1回、001である。

今夏もまた猛暑だが、昨夏と違って私にはとっても時の進みが早く、慌ただしい。大学の講義も今年は8月3日まであり、履修学生の成績表を教務へ出したのが12日だった。7月中旬から3週連続する講義で、履修者は400名弱。3回とも映像（いずれも10分構成）を流した。

１回目は私自身の「2千本安打の記録」で、桑田真澄君の修士論文『野球を学問する』（新潮社刊）もとりあげ、「体罰は是か非か」「飛田穂洲翁の武士道野球の意味」を題材にした。
2回目は「アイク生原の生涯」。日米野球の架け橋となった大先輩の業績を考察して、スポーツの国際化を論じた。
3回目は、とくにスポーツ関係職に就きたい学生たちの夢に添うものとして、「モンゴル野球・蒼き狼のフィールド」。
3回とも、目下、話題のハーバード大学サンデル教授流の質疑応答方式である。

小テスト&amp;アンケートも実施した。
1. 最近のスポーツで感動したこと3つ挙げよ。
2. 2020年東京オリンピック招致は賛成か反対か。
3. 影響を受けたアスリートは誰か。

こういう問いに対して、学生たちはなかなかおもしろい回答あるいは解答を提出してくれる。多くのスポーツOB(現役を引退した人たち)が「最近の若者は・・・」という台詞をメディアで発するが、その若者像は私の学生たちとは少し異なる。機会があったら、この彼らの回答の一部をこのブログでも披露しようと思う。

本職のプロ野球解説も暑さを理由に怠るわけにはいかない。ラジオ・テレビの試合中継解説、ＣＳ放送の「プロ野球ニュース」は《口調は柔らかく神経は緊く》をモットーにしてマイクとカメラに対している。

13日〜20日まで山形県鶴岡市で合宿中の東大硬式野球部員から、質問メールもしばしば届く。それに真摯に応えるためにも、プロフェショナルたちのプレー一つ一つを注視している。そして、例えば真弓監督から打撃論を、宮本選手から守備技術を、内田コーチからファーム選手の育成法を、というふうに具体的な事例を学べるのはじつに有意義なものだ。

7月16日からは、長崎県島原市、新潟県上越市、岩手県二戸市、長野県松本市を訪問した。全国自治センター主催の「宝くじスポーツフェア―　ドリームベースボール」に参加するためである。つい数日前の8月14日の松本市営球場では、700名もの子供たちと野球教室を楽しんだ。

名球会が、金田正一氏の勇退後、十分な検討もなく突然、株式会社から一般社団法人へ組織替えしてしまい、私は一般社団法人の社員になるのを断った。その社団法人名球会は長年続いているこの催しにたいして、今年はまったく協力しないことを宣言したという。それで、私なども猛暑や東大合宿よりもこのゲームを優先して、子どもたちの夢を壊さないように、ＯＢクラブの会員たちとともに参加している。

地元青年チームとの親善試合は、各選手とも往年のユニフォーム姿で（本人だけは颯爽と、よそ目には？と）登場するのだが、やはり会場からの声援が大いに沸き上がる。この楽しさを肌身で感じ取れるのは、やはりかつてグランドで活躍した選手たちだけである。野球に縁のなかった者たちには、そして面子や自己利益にとらわれている者たちには、この「ドリームベースボール」の意義はわかるまい。

母校・習志野高が10年ぶりに甲子園に出場し、3回戦を突破した。だが、上記の理由等で応援に行けない。せめてもの思いで、少額のカンパを送っておいた。後輩たちよがんばれ！　

19日には気仙沼の野球少年たちが、柏市と市民の会の招待でやってくる。彼らにどんなプレゼントができるか、野球用具は中古品とはいえ、かなりの数が全国から送られてきているというから、私としては金品で買えないもの、心に夢を抱けるものを準備中だ。

あれやこれやと忙しくしていたら、古傷の足がまた痛みだし、サウスポーの少ないチームの練習のためにバッティング投手として投げ過ぎたのか、左肘もやや痛い。しかし、練習ごとに百球以上も投げ続けていると、肩や肘に負担のかけない投球法がわかってきた。まさに怪我の功名である。

誰かがやらねばならぬことだからと思うと、つい身体が動いてしまう。この夏もまた、家人たちから、祖父として父として夫としての及第点はもらえないだろう。
 

      
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   <title>被災地・気仙沼市にて野球指導</title>
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   <published>2011-06-17T14:12:20Z</published>
   <updated>2011-06-17T14:21:19Z</updated>
   
   <summary>　大震災からちょうど三か月目の6月11日、私は気仙沼市に着いた。YBCメンバー（...</summary>
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      <![CDATA[　大震災からちょうど三か月目の6月11日、私は気仙沼市に着いた。YBCメンバー（松村コーチ兼任・川村主将・山賀、平野副将、谷澤副部長）とともに、気仙沼の子供たちと野球を楽しむためである。

　その20日ほど前に、私は柏市地域づくり推進室に電話をかけた。詫びの電話である。その引き金は、今年になってYBCの選手たちから不満の声が強まったことである。この1,2年の間に加わった選手たちは、6年前の創設時の事情を知らない。利根川河川敷グラウンドを使えるようになるまで、練習場所の確保にどれだけ苦労したかを、彼らは知らない。今年に入って、チームの首脳陣が若返った。彼らなら、私もあまり顔を出さなくてもいいと思い、ともにYBCをたちあげ、5年間も私につきあってくれた加藤前部長も「完全引退」したので、資金運用をはじめチームの運営のほぼ全権を、部長・監督らに委ねた。彼らもまた、創設時から苦労をともにしてきたから、これまでの事情は十分に知っている。ただ残念ながら、それが大部分の選手たちにあまり伝わっていないようだった。

　これまでは苦労も笑いとばしてきた。「野球ができる楽しさ・喜び」がYBCの原点だからだ。もちろん、その延長に「勝つ喜び」がある。そういうやっとの思いで確保できたグランドなのに、新体制となってから不満の声が多く私の耳にも聞こえてきた。交通の便の悪い、葦などが群生してボールが紛失が多すぎる、水道もなく、土埃を抑えられない等々……、かつては自ら「ジプシー球団（ジプシーは差別語だというから不適切な表現だろうが敢えて記す）」と称して転々とした。その苦難はこのブログにも記してあるから、選手やスタッフも読んでくれていると私は信じ、理解してくれていると思い込んでいた。グランドの不備について不平不満を声高に言う者がいれば、部長・監督らがたしなめてくれると思っていた。それに、そんな悪条件でも現監督らの指導の良きを得て、昨年までは千葉県クラブチームのナンバーワンの戦績を残し続けられたのだから。

　だが、気になることがいくつかあった。「自分たちの不満は当然だ」というような声が公然と語られているのではないかと私は懸念した。もしもそんな声が柏市の窓口である地域づくり推進室に浴びせられていたら、まことに申し訳ないという危惧が生まれた。それで、その確認と詫びを言いたかったのである。

　今年度、地域づくり推進室に改組されたが、前身のホームタウン推進室の時には小貫室長が我々の活動を大変よく理解してくれた。公僕である人のもつ独特の言い回しで、こちらへの配慮と遠慮のもと、小貫氏はYBCをサポートしてくれた。高橋氏もまた同じである。6年前のYBC設立当時は、秘書課に勤務しておられ、グラウンド探しにも骨を折ってくれた。あいにく柏市の野球環境は現在以上に良くなかったので、目を見張るような成果は生まれなかったが、真っ先にCP会員になってくれた。そして、それは今までずっと続いている。（ちなみにかつて柏市役所軟式野球部が全国大会へ参加した頃、小貫氏も高橋氏もそのメンバーだった。）だから、まだまだ地元柏市に十分な地域貢献をはたしていない私としては、県行政出向から戻った高橋氏に頼むことは抑え、頼まれることはずべてを行なうつもりでいたのである。

　 私のかけた電話は意外なことになった。高橋氏の第一声は「今、気仙沼にいるんですよ」

私「えー、何でまた・・それは大変ですね」

高橋氏「震災後、柏市も災害支援や復興作業に協力したいと、東北の各市町村へ連絡したところ、唯一と言ってもいいほど行政機能が動いていたのが気仙沼市役所だったのです」

私「姉妹都市では無 いのですね」

高橋氏「そうなんです。すでに4月から職員と市民の会とで10名の班を組んで、週交代で7月末まで（今のところの予定ですが）支援致します」

私「私に何かできることがあったら言って下さい」

高橋氏「子供たちが可哀そうで・・」

私「野球教室でもやりますか」

高橋氏「やって頂けますか！そうすれば気仙沼市も柏市も復興と支援活動に元気がでます。何よりも子供たちに明るさが戻ってくれば意義がありますから。是非お願いします」

乗せ上手な高橋氏は「具体的に決まり次第連絡します」と言って、電話は切れた。

　6月5日、柏市を訪ねた。野球教室開催が11日に決定し、その打合せに出向いた。窪井部長から柏市が被災者の受け入れを積極的に行っていることなど、災害活動の現状を伺った。災害派遣協働推進課へ申請した車の通行書を頂戴して準備が整った。

　出発は11日深夜となった。10日のCSプロ野球ニュース（PBN）のスタジオ出演を終え、深夜0時半に谷澤副部長が、川村・山賀両君も同乗して、TV局に迎えに来た。PBNの武田ディレクターも取材をしたいと言って車に乗り込み、さらに途中柏市に寄って、松村君・平野君も加わり、我がYBC副部長の自家用車が東北道へ入ったのは午前2時を過ぎていた。

　降りしきる雨の中、何度か小休憩しながら気仙沼市へ着いたのは朝9時頃だった。運転者はもちろんのこと、全員、睡眠不足だったが、心は高揚している。正午に避難所となっている気仙沼小学校で、再び柏市から駆けつけてくる高橋氏と打ち合わせることになっていたが、この雨では野球教室も室内での簡単なものになる、残念無念と思いながら、気仙沼港を目指す車の窓から外を眺め続けた。細く曲がりくねった山間の路を抜けると、不意に眼下に惨状の広がった。ただただ唖然とするだけだった。TVニュースの画面とはまるで違う。火災で黒焦げの大型漁船が放置され、漁業組合や船着場、商店街の建造物に残っている大津波の爪痕は、言葉では言い尽くせぬ光景だ。瓦礫は至る所に堆積していた。強烈な磯の香りを嗅ぎながら、もっとも衝撃を受けたのは、海面が陸地より高く見えることだった。おそらく防波堤も流されてしまっているからだろう。今、海が陸より高いのは理屈に合わない。だがだが見てもそうとしか見えないのだ。気仙沼の人たちの恐怖の一部を実感できた。そして、それだけでも私にはこのうえない恐ろしさに充ちた光景だった。

<div class="centerimg"><img alt="気仙沼野球教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kesennuma001.jpg" width="450" height="300" /></div>

<div class="centerimg"><img alt="気仙沼野球教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kesennuma002.jpg" width="450" height="253" /></div>

　 高台に位置する気仙沼小では、校舎前の広いグラウンドでサッカースクールが始まろうとしていた。再び強くなった雨の中で、世田谷区のサッカー団体の活動という。世田谷には全国でも有数の活動をしているスポーツNPOがあることを思い出した。体育館に入って行くと、柏市のネームが入った黄色いジャンバーの人がいたのでで声を掛けてみた。やはり柏市の応援部隊だった。「谷沢さんですか。ご苦労様です。高橋課長から伺っています」とにこやかに言う。「今日から次のグループが来るので交代します。こちらの被災者は75名ですので4人で対処してますが、グラウンドの向こうの中学校体育館には250名おりますので、こちらも6人で動いています。」応援部隊は体育館の壇上の奥で寝泊まりしているそうで、食事も避難の方々と同じく、「ボランティアの皆さんが用意してくれるものをいただいています」と言う。

　中学校の校舎へ行ってみた。グランドは砂利が敷き詰められ、完成した架設住宅には入居者がいたが、たまたま体育館で、市長が被災者から強い口調で要求を言われている集会を目撃した。柏市職員の言では「9時から集会が始まって、もう3時間ほどになりますね。すでに避難後3か月になりますのに、先の見えないことに苛立っているんですよ」

　 窪井・高橋両氏が柏から到着した知らせが入り、小学校へ戻った。そこには白いユニフォーム姿で待っていた人物がいた。「気仙沼小学校野球部の監督の菅原洋です。市の農林課の職員なんです」

私「小学校で野球部があるとは珍しいですね」

菅原監督「当初はスポーツ少年団でしたが、指導する者がいなくて私がやり始めたら、すっかり夢中になって10年も経つうちにいつのまにか野球部に変わっていました」

　日頃の行いがいい(?)せいか、昼頃から雨もすっかり上がり快晴となった。「晴れ男、健在！」と心の中で呟いた。さっそくユニフォームに着替えた。ＹＢＣの面々はフェニーズの、私は現役時代のものだ。

監督「今日は南気仙沼小から13名、うちから15名です。南気仙沼小は津波でやられて、子供たちの野球用具はすべて流されてしまいました。うちと合同で練習もしましたが、東北の子は人見知りをしてなかなか打ち解けあってくれません」

私 「今、何が必要でしょうか。今日のために何を用意しようかと熟慮しましたが、とにかく監督さんに聞いてからでも遅くはないと思いましてね。ただ、現役プロ選手の色紙とサインボールをいくつか用意しています。配布は菅原監督にお任せします」（子どもたちのためにサインしてくれた岩瀬・井端・荒木・浅尾の中日勢と、中村・中島・栗山・岸の西武勢の諸君、ご協力ありがとう）私の野球カードを持っていったが、これは子供たちよりも大人の方々のほうが笑顔だった。

　窪井部長の挨拶があり、次いで菅原監督の黙祷の指示と私の挨拶のあと、野球教室が始まった。子供たちに「プロ野球選手になりたい人は？」と聞くとほぼ全員が元気に手を挙げる。まずは、川村主将が先頭に立ってウォーミングアップ。続いて、泥濘を避け、土の固い所を選んでの走塁練習、キャッチボールの基本、トスバッティング、ゴロ捕球と基本練習を順番に行なった。そのつど、説明を加え、実動作を繰り返した。子供たちは熱心・夢中、私達の指導に集中する。 やがて、ティー打撃と守備練習になると、「俺、俺」とアピールする子がどんどん出てきた。輝くような笑顔と真剣なまなざしが溢れた。

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　にこやかに子供たちを見守っている中に、佐藤氏がいた。佐藤真海（まみ）さんの父上である。祖父から真海さんまで3代続く早稲田マン&ウーマンである。真海さんは、仙台育英高で陸上競技部員だったが、大学時代に骨肉腫のため、右膝下を失なったが、2004年、08年と2度もパラリンピックに出場し、走り幅跳びで6位入賞を果たしている。（彼女のブログも著書の『夢を跳ぶ―パラリンピック・アスリートの挑戦』 岩波ジュニア新書もぜひ読んでほしい）気仙沼出身の彼女とは、6月9日に歓談した。（仙台育英と言えば、YBCの加藤前部長が長年、同校の顧問であって、彼もすでに仙台や多賀城などに3度ボランティアに行っている。我々のYBC精神は生きていると思うと嬉しい。）

　あっと言う間に2時間半が過ぎていた。いつの間にか2つの小学校の子供たちは交じり合っていた。菅原監督の「子供たちがスキップして帰れるように」という願いは実現した。私達もまた同じ心境で気仙沼を辞した。天気同様、晴れ晴れとした気分だ。そんな気持ちを与えてくれた気仙沼の子供たちと、関係した方々に心から感謝したい。

<div class="centerimg"><img alt="気仙沼野球教室" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kesennuma007.jpg" width="450" height="300" /></div>

　帰京早々に菅原監督からメールをいただいた。私信であるが、勝手に一部を引用させてもらう。

「野球教室での子供たちの笑顔に，私たち大人も元気をいただきました。一番はしゃいでいたのは子供たちではなく，大人の私たちの方だったかもしれません。」

「野球教室の翌日の練習では，谷沢選手に教わったことをひとつひとつ確認しながら練習に取組んでいた子供たちがおりました。」

「子供たちの声や動きにも明らかに変化が見られました。（略）震災から３ヶ月経たこの日に再び自分の夢や目標に向けて歩み始めたようです。その子供たちをこれからも応援していきたいと思います。」

なんと嬉しい言葉が並んでいるメールだろうか。

追記・さきほど、高橋課長から連絡があり、8月に気仙沼の子供たちを柏へ招待して楽しんでもらう企画を立案中だと思う。ぜひ実現させてほしいと思う。ところで、柏の子供たちにもティーボールか野球かで楽しんでもらわなければ。我々の本拠地は柏市なのだから。YBCの若い諸君よ、自分だけが笑顔になるのではなく、人とともに笑顔を浮かべようぜ！
 
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   <title>ウォーリー与那嶺氏の「お別れの会」</title>
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   <published>2011-05-29T12:59:21Z</published>
   <updated>2011-05-29T13:06:05Z</updated>
   
   <summary>5月27日、六本木教会でウォーリー（あえて親しみを込めてそう呼ぼう）の「お別れの...</summary>
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      5月27日、六本木教会でウォーリー（あえて親しみを込めてそう呼ぼう）の「お別れの会」が催された。当初は3月下旬に予定されていたが、大震災のために延期されていた会だ。

　彼は2月下旬にハワイ州ホノルルで前立腺癌のために逝去、85歳だった。ウォーリーを偲ぶ参列者は400人余り、いかに日本人関係者から愛されていたかわかる。

　1974年、巨人の10連覇を阻止して、ドラゴンズに20年ぶりのリーグ優勝を齎（もた）した監督であり、そのチームの一員だった私の脳裏にも当時の歓喜がありありと蘇ってくる。

　ウォーリーの想い出は1970年に始まる。その年、彼と私はドラゴンズに入団した。といっても、ウォーリーはその10年前に巨人から中日に移籍し、引退後、すぐに打撃コーチになった。その後、他球団でコーチを勤めたが、70年に一軍ヘッドコーチとして復帰したのだった。

　私はといえば、ドラフト１位とはいえ、22才の若造である。いろいろ学ぶところが多かった。

　その年の1月、合同自主トレが愛知県知多半島で始まった。私はいきなり無知な面を曝け出すことになった。砂浜で、スライディング教室とでも言おうか、走塁の練習が行なわれた。「ヤザワ！ソレ何、すらいでぃんぐデナイヨ。コウスルノヨ」と、たどたどしい日本語で叱られ、自ら滑り方の模範を見事な示してくれた。

　３年後、中日の監督のバトンは、名将水原茂から闘将与那嶺要に渡った。その年は3位に終わり、オフに渡米した。アリゾナ州フェニックスの教育リーグに森下コーチ・島谷さん・大島君・私の4人を参加させるためであり、外国人選手を獲得するのも狙いだった。

　この渡米が私の一塁手への転向と繋がり、さらに74年の4番打者ジーン・マーチン加入のきっかけにもなった。つまり、巨人に打ち勝って10連覇を阻む伏線の一つになったのである。

　ウォーリーは、日本のプロ野球に、スライディングだけでなく、いろいろな新たな技と心を持ち込んだ。当時は、まだまだ古めかしい根性主義の時代で、鉄拳制裁をはじめ、暴力的な言動が心の「熱さ」として高く評価されていた。ウォーリーもじつは熱い男だったが、熱い心の表し方がスマートだった。私も激しやすいほうだったから、ウォーリー・スタイルはじつに新鮮だった。

　ウォーリーは常に闘争心を求めた。両チームの乱闘シーンも今ではあまり見られなくなったが、当時は、日常茶飯事とは言わないまでも、頻繁に起きた。ただ、率先して乱闘に加わる者もいれば、そうでなくベンチで傍観する者もいた。ウォーリーのドラゴンズは、トラブルがあればベンチから全員が飛び出した。ベンチに残っていると「罰金だ！」と脅された。

　降板してベンチ裏でマッサージを受けていた投手の星野さんが乱闘に加わらずに、ウォーリーの怒りをかったこともある。それ以来、彼はウォーリーの後について飛び出していくようになった。投手として指や腕を大事にしていた星野さんが、「闘」将に変わった契機になったと思う。

　想い出すのは75年のことだ。シーズン終盤、ドラゴンズはカープ、タイガースと熾烈な首位争い演じていた。1位の広島カープは初優勝がかかっていたのである。9月10日、カープの本拠地・広島市民球場で直接対決となり、5対2で我々がリードしていたが、9回裏に1死1、2塁で、三村君が2塁打を放ち、一気に5対4と1点差に追い上げられた。

　ここで、星野さんが降板。リリーフの竹田君が次打者を三振に切ってとって2死。さらにストッパーの鈴木孝政君が、山本浩二さんに対した。

　浩二さんはセンター前にヒットを放ち、2塁から三村君が本塁に突っ込んだ。この時、新宅捕手のタッチが走者の顔面に激しく当たり、吹っ飛んだ三村君はアウトで、ゲームセット。

　三村君は激怒し、新宅捕手に&amp;#25681;みかかった。私は選手会長だったから、すぐに1塁から駆けつけた。だが、「熱い」広島ファン約500人がグラウンドになだれ込んで、収拾がつかなってしまった。星野さんがカープ主力の衣笠・大下両選手に死球を与えていたせいもあったかもしれない。なにしろ、スタンドから「星野を殺せ！」などという物騒な怒号と、ビールどころか瓶そのものが飛んで来た試合だった。

　日頃のウォーリーの叱咤のせいか、すぐに逃げ出さなかった中日の選手6人とコーチ4人負傷させられ、私もその1人だった。利き腕の左腕打撲で1週間の治療が必要になった。負傷した6人はすべてこの試合で活躍した選手だった。あるいは狙い撃ちにされたのかもしれない。

　翌日の試合は、広島球団が「安全な警備をする自信がない」と述べて、前代未聞の中止になった。けっきょく、レギュラーの野手4人とエースの負傷も響いて、中日は2連覇を逃し、この年は広島が初優勝した。

　権藤博氏（当時コーチ）が弔辞でふれたが、或る日、ウォーリーが包帯の巻かれた足に引きずって球場にやってきた。眠っていて、足の親指を壁にぶつけたという。おそらく夢の中でも闘っていたのだ。そういう闘将だった。

　私はウォーリーに一番叱られた選手だったかも知れない。不調の時には途中で交代させらることが何度もあり、ベンチで黙然（もくねん）としていると、試合後のミーテングで全選手の前で叱責された。「ヤザワ！アナタヲ見テイタヨ。気持チ変エルノ遅イネ。ソンナ選手イラナイノヨ」

　ところが、私が帰宅した頃合いに電話が掛かってくる。「皆ノ前デ叱ルノ、ちーむノ為ネ。分カッテクレルネ」。

　私が故障した頃、ウォーリーは他球団のコーチになっていたが、「Yazawa！Never give up !」とくりかえし激励してくれた。自身の生き方が「NEVER GIVE UP」だったのだと思う、なにしろ日本プロ野球で38年間もユニフォームを着続けたのだから。Praying hands（合掌）
      
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   <title>YBC・大震災・支援活動</title>
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   <published>2011-04-04T09:06:25Z</published>
   <updated>2011-04-04T09:29:22Z</updated>
   
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   <category term="218" label="東北関東大震災街頭募金" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[
久しぶりのブログである。今、私が関わっている活動の多くがきわめて流動的で、なかなか頃合いのキリがない。それで、ついついブログの記事を書き上げられないでいる。

　2月は谷沢旗大会（2月5〜6日）を挟んで12球団のキャンプ地を巡回した。ちょうど東大が学年度末テスト期間を迎えて、野球部の練習も中断になったので、本職の取材に精を出したのである。しかし、東大部員たちの意欲は高く、試験中でも各自が自主的に練習メニューを考えて行なうのだが、「自主練習メニューに関して質問があればメールをよこせ」と言っておいたところ、何通も届く。

　例えば、N部員は「阿部選手の分解写真を見るとインパクトの瞬間から左手がセンターの方向へ伸びている。これには理由がありますか？」

　「左右の手の均衡が・・・」と答えを頭の中に準備をしておいて、念のために本人にじかに尋ねてみると、明確な返答を得られた。

　阿部選手「左の握力52、右60とバランスが悪いので、意識して左手をインパクトからボール2つ分ほど押し込むように伸ばしている」

　このような質問と応答が集まって２週間足らずで大学ノート一冊分にもなった。なにしろ、東大の部員には「気持ちで打て」「パッと来たら、パッとスオングしろ」というような二昔も前の指導が通じないのはもちろんのこと、「○○コースで球種が××には踏み込め」といった一昔前の指導も通用しない。なぜ踏み込むのか、踏み込んだ時の腰の回転をなぜそうするのか、腕のたたみ方をなぜそうするのか等々、すべて理詰めで、しかもそれが本人の身体感覚（＝身体個性）にしっくりこないと納得させられない。弱小東大と陰口を叩かれているが、彼らは被指導者・学習者としてはまことに真摯であり、その分手強いのである。

　ようやく期末テストが終わって、東大野球部合宿が3月9日から19日まで九州宮崎で行なわれ、私も帯同した。その3日目に未曾有の大震災が生じた。東北・関東に関わりの深い知人たちの何人かに連絡を入れた。幸い、大きな被害がなかったようだが、ただYBCの加藤顧問は痛手を蒙った。大学から10年以上も仙台で過ごして、東北には友人や教え子が多く、彼らに災いが及んだという。かつて住込でバイトをしていた家が津波に巻き込まれてその一家が亡くなったし、未だ行方が分からない者も複数いるそうだ。短い電話だったが、今までにない悲痛な声音だった。

　私も合宿を終えて帰京したら・・と思っていたところ、柏市ホームタウン推進室の小貫室長から、「3月27日に柏駅東口ダブルデッキ上で『東北関東大震災街頭募金』を実施したい由の連絡があった。その日はYBCは田園調布大との練習試合を予定していたが、先方の理解も得られて、試合を中止し、チーム全員で臨むことができた。

　当日は、柏市で活動するスポーツ団体（詳しくはHPに掲載）と女子高校生やライオンズクラブの方々が参加して、義援金を募ったのだが、市民もまたよく協力してくださり、約260万円の額になった。最初は、皆の呼びかけの声がいささか低かったので、あえて私は大声を張り上げた。翌日、見事に声が枯れてしまっていた。喉が弱いことを忘れていたのだが、後の祭りである。

<div class="centerimg"><img alt="東日本大震災義援金街頭募金活動" src="http://www.yazawa2005.jp/images/bokin001.jpg" width="450" height="300" /></div>

<div class="centerimg"><img alt="東日本大震災義援金街頭募金活動" src="http://www.yazawa2005.jp/images/bokin002.jpg" width="450" height="300" /></div>

　YBCのクラブチーム「YBCフェニーズ」は、ただ硬式野球をし、試合で勝つことを目指すだけではない。それと同時に、柏あるいは千葉という地域社会集団の一員であり、日本という共同社会の一員である。それをスタッフ・選手がよく理解してくれていると、私は信じている。フェニックス──不死鳥の雛鳥たちという名称は、まさに大震災から再び甦ろうとする人たち、とくに子どもたちにふさわしいではないか。

　それにしても、野球界の動きは残念な点が多い。Jリーグの3月公式戦はいち早く中止され、チャリティ試合には欧州からも続々とスタープレーヤーが駆けつけてきて、すぐにサーッと自分の仕事場＝欧州のチームに戻って行く──サッカーファンの中学生でなくても「かっこいい！」と思うだろう。スポーツマンである前にマン（人間）であることを彼らはさりげなく示した。

　こういう時の支援活動は難しい。名乗りあげて行なうと「売名行為だ」と非難されることが少なくない。逆に名前を隠して行なうと「有名人でたくさん稼いでいるくせに何もしない」と誤解され罵倒される。だから、私は個人で行なう時は匿名で、組織で行なう時は名乗り上げて行なうことにしている。

　イチロー選手でも松井選手でもメジャーの契約に縛られていれば、身動きができないのかもしれないが、それでも義援金ぐらいは醵金（きょきん）した。takeするばかりでgiveすることがなければ、「野球人」ではなく「野球獣」であるにすぎない。私が今所属している野球組織は名球会・JABA（の下部組織）などだが、前者にはかなり失望している。後日、詳しく書く機会もあるだろうが、著名度が高く影響力のある組織なのだから、もう少し、心ある迅速な活動が可能だったはずだ。

　東北関東大震災で試されているのは、被災者ではない。被災を免れ、失うものの少なかった私たちこそ試されている。

　さて、今から新幹線に飛び乗ろう。ナゴヤドームのチャリティ試合で球場入口に立つ後輩選手たちに合流できるだろう。

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   <title>東大野球部コーチングあれこれ</title>
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   <published>2010-12-15T01:49:48Z</published>
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      　東京大学硬式野球部の新チームの公式練習は11月9日が始まった。私は一日遅れて10日から加わることになった。ふだんから着飾ることにはあまり関心のないせいか、前日になって気がついた。練習時の身なりである。帽子、ユニフォームは白一色にするとして、ジャンバーだ。YBCフェニーズのそれは臙脂色で、東大の淡青色のユニフォームの中に入ると目立ちすぎる。しかも早大の臙脂色とかなり似ている。よけいな詮索はされたくない。できるだけライトブルーに近い色が望ましい。だが、手持ちには1着もない。やむなく、琴賀岡主務に問い合わせてみた。
主務「はい、用意しておきます。明日は東大前の2番出口でお待ちしています。寮（一誠寮）までの道が細く分かりにくいんです。」
私「ありがとう。8時に行くよ。」
　地下鉄南北線・東大前駅はすでに何度か乗り降りしているのでいいのだが、その先がたしかに曲がりくねった脇道でわかりにくそうだった。2〜3分ほどの道だが、方向音痴の私には憶えるのに数日かかるなーと思った（ところが、主務は翌日も自転者で迎えにきてくれたのだった）。
　前にも書いたように、新チームの平日練習は部員たちの要望で早朝6時半から（土日は8時から）行なわれ、御手洗監督は5時前には家を出て指導しているという。
監督「谷沢さんはそこまで早くなくていいですよ。これまでのように8時からだと全体練習が1時間しかできない。9時からは授業の一限目が始まります。特に、1学年はこの本郷グランドから駒場校舎に通うのが大変なんですね。」（周知のように、東大は1,2年生は全員、駒場の教養学部に所属し、そこから「進振り（進学振り分け）」によって3年以降、本郷の各学部へ散らばる。）
　新チームは50名弱だが、夕刻までの練習は選手たちが入れ替わり立ち代わりで流動する。早大も授業出席を優先するので、それに合わせて練習は4班ほどに分けて行なってきている。東大も同じで、何班かに分けることで理系や医学部の部員でも野球を続けやすくなり、中途退部する者も減少したそうだ。
　東大でも早大でも学生の本分は学業であるとする。これに異論を唱える者はいない。だが、ここから考え方が二分される。「学業第一スポーツ第二」論と、「スポーツも学業である」論とである。スポーツ科学が学問として成立するという立場の人は、後者を支持するだろう。もっとも、学業としての体育は認めるが、学業としてのスポーツは認めない（体育は学業、スポーツは非学業）など諸説があって、この議論に踏み込んだら私の脚力では足をとられるから止めておく。
　さて、監督からの紹介で、私は部員諸君に挨拶した。「打撃中心にBASICなことから指導を始める。例えば素振りを1000本、2000本しても基本を理解していない限り効果も薄い。感覚も肝要だが、理屈の積み重ねで野球思考力と野球理解力（いわゆる野球頭）が向上し、技術も養われる」というのが要点で、「疑問があればいつでもすぐに聞いてくれ」と結んだ。
　練習参加は、11月が10回、12月になってからは5回。日が暮れるまでグランドにいて、故・山内氏や中西氏のような「教え魔」に徹しようと思った。事前に東大ＯＢの小林至氏（ホークス球団取締役）に東大気質を伺ってはいたが、部員諸君は予想以上におそろしく謙虚であり、有用なことはとことん吸収したいという姿勢は、小林氏の言葉通りだった。
　しかも、一人が知った知識・情報は全員で共有する。これには感心した。「一を聞いて十を知る」ならぬ「一を教えて十に伝わる」である。どうして私として自然と熱が入らないことがあろうか。例えば、初歩的な事柄だが、打撃練習時にアップシューズで打つ者が殆どだった。「足裏の感触だけでなく、足・腰などの微妙な筋肉・骨の動きに影響があるから、スパイクで」と指摘した途端に、あっという間にそれが浸透していく。「自分が立った足元の土を慣らしてからゲージを出るのもマナーだよ」と伝えるとすぐに徹底されていく。野球のエリート高校出身者なら当たり前のことでも、東大部員たちには一事が万事新鮮なのかも知れない。
　また、体育会系特有の上下の悪しき主従関係もない。練習の後片付けは上級生も下級生もない（これは我がＹＢＣも同様である）。練習試合やシート打撃後には選手はベンチ前に集合して、監督やコーチから指示や注意などが必ずあるが、東大の場合は控え選手だろうが下級生だろうが、誰でも気付いたことを述べ合う。もっとも、最後には主将や監督が締めるのだが。リーグ戦で戦力差以上に善戦しているのは、部員たちが一つ一つのプレーを疎かにせず、それに集中している証である。
　選手の名前も随分覚えた（まだ全員でないのは申し訳ないのだが）。練習時にはスマートフォンで静止画・動画も撮っている。「百聞に一見を加える」で、選手たちも呑み込みやすいようだ。御手洗監督は当然のように打撃投手を務めているのが、私も左腕の打撃投手を勝手にかってでている。おかげで、夜も眠りに入るのが速やかで、充実感が深い。ある夜、半ばまどろむ頭に字余りの駄句が浮かんだ。“木枯しや　熱き打球音　運びをり”

 
      
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   <title>東大野球部</title>
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   <published>2010-12-04T02:18:46Z</published>
   <updated>2010-12-04T09:22:10Z</updated>
   
   <summary>　野球史をかじったものなら誰もが知っていることだが、東京大学の前身、旧制第一高等...</summary>
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      　野球史をかじったものなら誰もが知っていることだが、東京大学の前身、旧制第一高等学校は日本野球の種をまいた学校である。
　今から85年前、東京帝国大学野球部は、東京五大学野球連盟に加盟して、東京六大学野球連盟が成立した。その時、反対論もあったそうだが、仲介したのが早大の飛田穂洲先生だった。大学野球界での東大と早大の縁は、初めから深かったわけである。
　私もひょんなことから、その縁につながることになった。その経緯は「東京中日スポーツ」「ZAKZAK」「週刊朝日」などで報道されたので、それらの記事と重複するが、すこしだけ書いておこうと思う。
　発端は早大にある。早大にスポーツ科学部が創設された時、吉村正教授から思いがけない誘いがあり、2003年から客員教授として「硬式野球」と「スポーツ評論」を担当することになった。
　受講者は、もちろん野球部員でなく一般学生たちであり、女子学生にも門戸を開いた。それが「谷沢教授の野球実技は、オープンだ」という風聞を生んだらしく、女子学生だけでなく、身体のきわめて虚弱な学生も履修登録をするようになった。
　すると、政経学部に所属するある女子学生が見学に来てこう言う。「私の弟が浪人中なのですが、高校時代は野球部員で、週に一度くらいは、好きな野球をやりたいと言うのです。谷沢先生なら引き受けていただけるかもしれないと思いまして・・」。私は子どもと女性に弱い（と妻はいつも言っている）のだが、断った。「この実技授業は、早大生が授業料を払って参加しているのだから、外部者の受講は認められない。」
　そして付け加えた。「ただし、実技助手はノーギャランティで手伝いをしてもいいことになっている。助手として授業に関わって体を動かすことはできる。それで良ければ、次週から来なさい。」
　翌週、姉が弟を同伴してきた。新調したのか、丁寧に洗濯したのか、弟のいでたちは帽子からユニフォーム、シューズに至るまで真っ白だった。その姿を今でも鮮明に記憶している。彼は、それから1年間休むことなく生き生きと楽しそうにアシスタントとして活動してくれ、履修生たちとも親しくなった。
　彼は、早大志望者と思いきや、東大文科３類に合格し、野球部に入部した。私は、2005年にYBCを創設し、そのチーム結成記念試合の対戦相手に大学チームを考え、野球部マネージャーだった彼に「胸を貸してくれ」と依頼した。東大監督も快く承諾してくれて、YBCの実戦がスタートできた（詳しくは本ブログに掲載）。
　彼が社会人となり結婚したという知らせがあった時、東大野球部の思い出話などしたが、彼の頭にあるアディアが閃いたようだった。そして、一誠会（東京大学野球部OB会）の坂谷地（さかやち）幹事長とお会いする運びとなった。
　幹事長「うちは監督は投手出身で、それは安心なのですが、打撃陣が弱い。とにかく打撃力をつけたい。基本的なことを指導していただけませんか。これまでも他大学OBの方が指導に来られたこともありましたが、日数が短く、効果が小さかったのです」（御手洗監督は現役時代、リーグ戦で通算4勝をあげた東大エースだった。）
　私「早大関係者だけでなく、大学野球連盟などの了解を得られれば、大いにご協力します、私にとってもとても勉強になることです。全精力を傾けてお手伝いさせていただきますよ。」
　9月下旬に正式に依頼があった。一誠会の橋本会長、坂谷内幹事長、御手洗監督と会合を持った。会長と幹事長は私と同年代であり、共感するところが多かった。特に橋本会長がわざわざ「谷沢健一の東京六大学通算本塁打18本の詳細データ」をお持ちになり、あれこれ語ってくださったのは、驚きであり、そのお気持ちがひじょうに嬉しかった。
　指導期間も「谷沢さんが嫌になったら、いつでもお止めになってください。短期間でも長期間でもかまいません」とおっしゃるなど、必要な事項を一通り決めたところ、会長は「報酬をさしあげたい」とおっしゃった。私は即座にお断りした。会長は困惑なさったようだが、私の思いを理解してくださった。
　私はアマチュア野球の指導では、原則として無報酬にしている。（ちなみにYBCもそうで、全スタッフが無報酬であり交通費さえ自前である。細かい話をすれば、監督・コーチなどは試合日のみ試合終了後に軽く食事をし、その経費はチームが持つが、それも1人1000円以内と決めている。それを超えれば自腹である。私も例外でない。これは私と加藤前部長の創設時の理念に基づいている。競技と金稼ぎとを切断するところにアマチュアスポーツ精神があり、YBCは金をかけて強くするようなチームにはしたくないからである。）
　10月2日、稲門倶楽部の関口幹事長とお会いして東大野球部をサポートしたい旨を説明し、本村会長の了承も頂けるようにお願いした。会長も幹事長も、「早稲田という一大学に囚われてはならない。六大学ひいては学生野球にも好ましいことだ。大いに頑張ってくれ」と激励された。その寛大さは期待していた通りで、大学野球界の開放性を信じることができた。
　「ニューアマチュアリズム」というたいそうな言葉を掲げてきたが、競技スポーツは万言を発するよりも一事を行なうことだと心に決めて始めた「プロとアマの架け橋」の一つである。正直に言って、私自身もまさか東大野球部のサポートをするとは予想すらしなかった。しかし、一害があるとしても二利もまたあるだろう。それならば、差引一利である。実行するに限る。
　新チームの練習は11月10日からだった。練習日程は6勤1休で、早朝6時半から始まる。東大は工・理・農・薬など理系学部の学生のほうが多い大学である。野球部員もそうだろう。だとすれば、実験等、拘束される時間が多く、長いだろう。その関係で早朝6時半からの総合練習もやむをえない。とはいえ、さすがに私もその時間は無理なので、8時から参加することにしてもらった。
　今のところあくまで臨時コーチである。だから、ベンチ入りはできない。すでに５年前YBCフェニーズ監督として日本野球連盟（社会人野球）のアマチュア資格は認定され、登録されている（現在は監督を退任したが）。日本野球連盟とは別に、大学野球連盟のアマチュア資格の認定がなされない限り、正規のコーチではない。しかし、率直で熱心な部員諸君に接していると、私の心から「臨時」の二文字が消えてしまう。
　その部員諸君とのふれあいは次回の記述に譲ろう。
      
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   <title>スポーツフェスタかしわ2010</title>
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   <published>2010-11-22T00:57:10Z</published>
   <updated>2010-11-28T19:28:06Z</updated>
   
   <summary> 昨年、新型インフルエンザで休止された「スポーツフェスタかしわ」が、20日無事盛...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
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      <![CDATA[<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas01.jpg" width="450" height="286" /></div>

昨年、新型インフルエンザで休止された「スポーツフェスタかしわ」が、20日無事盛況の下に終えた。今回で5回目だが、YBCフェニーズは一昨年に続き2回目の参加である。J1復活を果たした柏レイソルをはじめ、新たに加わったJR東日本硬式野球部の参加で7団体6種目となり、子供たち（男の子も女の子も）は大変喜んでくれた。
　日立柏体育館に早めに到着すると、柏市の小貫氏ホームタウン推進室長が待ち構えていたかのように、わざわざ出迎えてくれた。このようにアスリートへ敬意を抱いてくれる人たちは近年では少なくなった。

<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas02.jpg" width="450" height="286" /></div>
レイソルチアーリーダー
<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas03.jpg" width="450" height="286" /></div>

　オープニングセレモニーは、華やかなレイソルチアーリーダーが作る花道を通って入場。参加団体の3分間自己紹介では、ＹＢＣフェニーズは山賀君が盗塁のスタートからスライディングを鮮やかに見せ、さらに前転宙返りもサービス。川村君はプロ野球選手の物真似である。だが子供たちはなかなか分からない。「イチロー」「亀井」「青木だ！」すべて外れ。正解はカープの前田智徳選手だった。蔵重助監督は私の現役時代の打撃フォーム。とくに打ち合わせもしなかったが、その腰の振り方など、よく似ていた。私は子供たちの中に割って入り、物真似の正解を求めたが、子供たちはわからない。当然と言えば当然だが、スポーツ人気の推移はとにかく速い。
　他の団体のパフォーマンスは、バスケはシュート、サッカーはリフティングだった。３分間だったのでそれ以上は無理なのかも知れない。
　リハビリティーション（介護士）病院のバレーボールチームの紹介もあったが、日頃の活動を知りたくなった。女子バスケチームは強豪であり、NHKの「スポーツ大陸」の取材も入った。

<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas04.jpg" width="450" height="286" /></div>
川村主将、山賀副将と子供達
<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas05.jpg" width="450" height="286" /></div>
蔵重助監督によるピッチング指導
<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas06.jpg" width="450" height="286" /></div>
JR東日本、大前選手による指導
<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas07.jpg" width="450" height="286" /></div>
川村主将によるバッティング指導
<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas08.jpg" width="450" height="286" /></div>


多目的グランドでの野球教室は、約70名の小学生（スポーツ団4チーム）が受講した。JR東日本も湯澤マネージャー引率の下、4名の選手たちが先生役になって、ポジション別に分けてYBCとの合同教室が始まった。初めての試みだったが、融合しあった指導は子供たちにも有意義だったと思う。私自身も子どもと触れ合うのはひじょうに楽しい。ただ、90分の指導だけでは物足りない。もっと時間を割けるといいのだが、フェスタ（祭り）だから、しかたがないのだろう。
　これは私の勝手な推測だが、わずか室員2名のホームタウン推進室が参加小中学生だけでも250名の行事を取り仕切るのだから、大変だろうと思う。もちろん他の部署からの応援もあったろうし、外郭団体のバックアップもあるだろうが、下打合せだけでも時間がずいぶん取られるに違いない。ふだん、打合せといえば、TV局や新聞などのメディアと大学の関係者との打合せが大半である私にはおそらく見えない部分が少なくないのだろう。だから、その労苦はわからないのだが、このスポーツフェスタに市関係者も市民も今後いっそう積極的に関わってほしいと切望する。
　JR東日本チームも同じ思いのようで（つまり、ボランティア活動としていっそう中身の充実した野球教室を行なおうという思い）、12月19日に＜JR東日本+YBC＞野球教室をJR東日本の布施グランドで開催する。
　その後、体育館に戻り、柏市レクレーション協会・松戸良一氏のしきりで、子供たちと共にゲームに講じてふれあいを高めた。一年に一度のフェスタだけに、もっともっと保護者の皆さんの参加があると、地域活動の輪が膨らむと思った一日であった。

<div class="centerimg"><img alt="スポーツフェスタかしわ2010" src="http://www.yazawa2005.jp/images/kashiwas09.jpg" width="450" height="286" /></div>
柏レイソル、ＪＸサンフラワーズ、日立サンロッカーズ、柏エンゼル・クロス、ＹＢＣフェニーズ、ＪＲ東日本硬式野球部、積水化学女子陸上部、とスタッフのみなさん



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   <title>YBCフェニーズは次のステップへ</title>
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   <published>2010-11-10T02:51:07Z</published>
   <updated>2010-11-10T03:58:17Z</updated>
   
   <summary>　千葉ロッテマリーンズ球団の皆さん日本一おめでとう。二転三転ならぬ九転十転のゲー...</summary>
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      　千葉ロッテマリーンズ球団の皆さん日本一おめでとう。二転三転ならぬ九転十転のゲーム展開を堪能させてもらいました。惜しくも敗戦に至ったドラゴンズ球団の皆さん、リーグ優勝のチームとして堂々とした戦いを見せてもらいました。この悔しさは来季に晴らして下さい。日本シリーズに挑めなかった10球団の皆さんも既に戦力の充実を目指して鍛錬の日々ではないかと思います。
　さて、その日本シリーズの最中、私は利根川河川敷グランド（新PWP）に飛んで行った。YBCフェニーズの新人事をスタッフ・選手へ告知するためである。
　この人事は、前々から加藤部長とも相談していたことだが、先月11日の埼玉市長杯（JABA公式戦）で横浜金港クラブとの延長14回の熱戦に敗れた後、私が総監督に、加藤部長が顧問に、小松副部長が部長に、久保田助監督が監督に、谷澤広報が副部長にと、来季に向けてスタッフを一新することにした。
　続けて、23日の関東クラブ選手権（足利市開催）の当日、蔵重投手コーチに助監督を受けてもらい、池尻選手にはコーチ兼任で「松村コーチ兼任と同様、若手の育成を頼む」との要請して、快諾を得た。
　また、7月に中目黒アトラスタワー3Fにラトビア国（バルト3国の一つ）日本アンテナショップをオープンして多忙な川島容次郎コーチに、「君は肩書きを変更せずに留任してくれないか」と頼むと、「新人事は大賛成だ」と喜んでくれた。
　この若返りで（谷沢・加藤・川島は60代半ば、久保田・藏重・小松は40代前半）、YBCも清新さが溢れるだろう。組織は常に滑らかな世代交代が図られなければならない。私たちはどれほど多くの”老害”を見てきたことか。
　対外的にも、これまで千葉県野球連盟の諸会議に出席していた小松君も、今後はその席上、議題について自身の判断で即決できるわけだし、久保田君も例えば千葉の社会人大学交流戦で、クラブチーム１位の監督として胸を張って指揮を執ることができるだろう。
　選手の人事も、川村主将と井原副将を留任させ、新たに山賀選手を副将に加えたこれも、今後は久保田監督。小松部長ら新スタッフが決めていくことになる。
　思えばYBC創設から5年が経過したのも忘却するくらいだった。伊東・高木・山崎選手らの創設時のメンバーもまだ頑張ってくれており、私なりに感慨も深いものがある。去る選手来る選手とはそれが&quot;縁&quot;だというしかないが、習志野高野球部の後輩・田中君（甲子園優勝時の遊撃手）の子息が今年はクリンナップで活躍してくれた。今後もどんな縁に恵まれるか楽しみである。
　とはいえ、縁は自らつくりだすこともできる。人間たるもの、積極的に関わりを求めなければならない。私について言えば、今後はグランドには顔を出す回数がこれまでよりも減るだろう。だが、選手たちは何時でも私に電話をかけてきて、日程を調整し、個人指導を受けることができるのだ。昨年までに比べると、今年はそれがやや少ない。独立リーグへ入団した選手たちは、時にはしつこいくらいに、アドバイスを求めに来た。YBCに「骨を埋める」選手にも、それを臨みたい。
　これまで通り、NPO法人理事長として大いにチームを支えて行かねばならない。地元柏市の行政とも連絡をいっそう密にして、地域貢献も積極的に提案し実行する必要がある。また、来年2月の「谷沢旗大会」も3回目を迎える。その開会式または決勝戦は県営柏の葉野球場を使用することになった。参加希望チームもどんどん増加していると、運営担当者から報告されている。
　今年の想い出を語るには早すぎるが、春季公式戦で延長17回のゲームを制したことは心に深く刻まれている。その原動力は、スタッフ・選手全員で協力して作るチームに進化してきたことであり、それが何よりも嬉しい。&quot;初心を保ち、進化を求め&quot;がこれからも実現されることを期すばかりである。
      
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   <title>第3回関東クラブ選手権千葉県予選</title>
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   <published>2010-09-14T13:02:04Z</published>
   <updated>2010-09-14T13:24:17Z</updated>
   
   <summary> 9月11〜12日の両日に掛けて秋季公式戦が開催された。YBCは春季を制している...</summary>
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   <category term="197" label="関東クラブ選手権大会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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      <![CDATA[<div class="centerimg"><img alt="YBCフェニーズと千葉熱血MAKING" src="http://www.yazawa2005.jp/images/100912shuugo.jpg" width="450" height="253" /></div>

9月11〜12日の両日に掛けて秋季公式戦が開催された。YBCは春季を制しているので、7クラブ中、唯一のシードチームだった。優勝するには、他のチームは土曜日に1試合、日曜日に2試合、合わせて3試合を勝ち抜かなければならないが、我々は日曜日の2試合だけでいい。（結果はHP上に掲載中）。
　今年は昨年以上に、久保田助監督と蔵重投手コーチが熱心にチーム作りをしてくれた、その努力が実った。また、加藤部長もほぼ全試合(これまで31試合)に帯同して、視力に障害があるのにスコアを記録して詳細な試合内容をHPに掲載してくれているが、このような例はアマチュアチームでは皆無のはずだ。
　この「試合内容」という情報の公開は、時には相手チームにとって参考になっているらしく、かつて全国規模の大会に出場したとき、あるチームの監督さんから「YBCさんのHPを徹底的に分析させていただきました」と"感謝"された。
　それはともかく、私たちの意図は各選手のモチベーションを高めることにあり、選手個々が意識や技術を向上させるのに、大いにプラス効果が齎されている。
　これら3人のスタッフを軸に、小松マネ、川島コーチ、金子トレーナーの多大な貢献により、私が参加できない時でもチームが活気を呈しているのは嬉しい。7月の全日本クラブ大会関東予選の敗退の時から、ただちに秋季公式戦へ向けて、チーム一丸となって戦力の充実に力を尽くしたのは、スタッフであり選手たちであった。
　山崎選手会長・井原副主将の両君は大学や高校時代の野球仲間を誘い、YBCの良さ・楽しさを語って、再びチームメイトになった。彼らは幾度も夢を追いかけては挫折を味わうことで、心が強くたくましくなってきた。川島・蔵重両コーチの強い支援によって、山崎君は今春から流通会社の正社員となり、生き生きと働きながら好きな野球を続けている（社内の評価も高いそうだ）。井原君も来春から正社員としての採用が決まった。彼はプレーも一段と堅実感をおびて、グランドでもナインへの指示や鼓舞の声が大きくなった。
　YBCの選手たちは今回もまたひとりひとりがチームのために貢献してくれた。特に、瀧澤・荒木・門木の三君は公式大会中に連盟の手伝いもしたり、スタンドに陣取って対戦予定チームの情報を収集したりしてくれた。そういう地味な作業に積極的に取り組んでくれたことに感謝したい。

<div class="centerimg"><img alt="小野投手" src="http://www.yazawa2005.jp/images/100912ono.jpg" width="450" height="253" /></div>
小野投手

<div class="centerimg"><img alt="秋元投手" src="http://www.yazawa2005.jp/images/100912akimoto.jpg" width="450" height="253" /></div>
秋元投手

　昨日の試合で、光ったのは10代の選手だった。東金球友倶楽部戦に先発した小野君は19歳。まだいくつかの課題はあるものの、ストレートの威力が高まってきた。千葉熱血MAKING戦で完投勝利を飾った秋元君は18歳（まもなく19歳）。相手チームの強打者・河野君(前試合で本塁打を放っていた)を外角の変化球で追い込み、虚をつく内角ストレートで見逃し三振を奪ったのは、プロ並みの配球と絶妙なコントロールだった。それをリードした26歳の川村主将の"老"練さも褒めなければならない。

<div class="centerimg"><img alt="日浦内野手" src="http://www.yazawa2005.jp/images/100912hiura.jpg" width="450" height="253" /></div>
日浦内野手

　また、決勝打を放ったのも18歳になったばかりの日浦君だった。相手投手に合わせて握りを短くしたバットから、センター前への快打。スタンドで応援するご家族の歓声が、ベンチにいた私の耳にも聞こえたような気がした。
　昨日は出場できなかったが、17歳の荒木君もどんなに遅くても来年の公式戦には活躍してくれて、お父上を喜ばせるだろう。10代の選手の家族の方々はことにYBCを愛してくれている。そいうYBCへの声援の輪は確かに広がっていると実感されるのが、今年の特徴の一つだ。有難いことである。
　10月23,24日の関東クラブ選手権大会には、是非とも実績を積み上げたい。それが、YBCをサポートしてくれる柏市への御礼にもなる。市内のスポーツ団体を支援を担当しているホームタウン推進室は、YBCだけでなく多勢のスポーツ団体が利用する河川敷グランドの整備に、今後もいっそう力を注いでくれるだろう。YBCは、例えば河川敷で野球教室やティーボール大会（健常者・障害者）を行いたいのだが、駐車場がまったくなく、事実上不法駐車するしかない。
　推進室もそれは十分に理解しているのだが、YBC発足当時から、口さがないごく少数の人が「谷沢はなぜもっと柏で活動しないのか」とおっしゃる。できない理由を説明すればするほど、柏という地が野球型スポーツを行なうのになんと不便な土地であるかを語らねばならなくなる。多くの不備をなんとか少しでも改善しようと努力している人たちが、そういう説明を聞いたら、どれほど不快に感じるだろうか。
　それを心得ているつもりでも、私はつい"過激"な発言をしてしまう。そして谷沢は不遜だと評判を悪くもしてきた。「自分では何もせずに人の行動をあれこれ言うのは、人間の常だ」とはわかっていても、やはりいい気分はしない。そういう時、YBCのスタッフや選手のことを思い浮かべたり、実際に活動を共にしたりする。嫌な気分が一掃される。これは何物にも代え難い。このブログをお読みの方で、"言うは多く、行なうは少なし"の方よ、とにかく行ないませんか。
　柏市と言えば、11月20日に「スポーツフェスタかしわ2010」が開催される。YBCは前回に続いて今回も参加させていただく。特に柏市内の子供たちよ、いっしょにスポーツを楽しもう！






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   <title>MNBF会長・後日談</title>
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   <published>2010-08-12T03:48:17Z</published>
   <updated>2010-08-12T05:20:03Z</updated>
   
   <summary>　ホスバヤル君が4月上旬にMNBF（モンゴル野球協会）の会長選挙に立候補して会長...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
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   <category term="193" label="MNBF" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="191" label="ホスバヤル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="189" label="モンゴル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="195" label="モンゴル野球協会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.yazawa2005.jp/">
      　ホスバヤル君が4月上旬にMNBF（モンゴル野球協会）の会長選挙に立候補して会長に選出されたことを、当ブログで紹介した。その報告を私が受けた後、彼はすぐにまたモンゴルへ戻っていった。その後、彼から連絡がなかったので、「便りのないのはよい便り」だろうと思っていた。ところが、事はそう簡単でなかった。
　ホスバヤル君は5月に日本に戻っていたのだった。それを私が知ったのは7月である。というのは、あるTV制作会社から「ホスバヤルさんの母国での野球普及活動の番組を作りたい」という申し出があったからだ。この申し出は、私には嬉しい企画であり、すぐにYBC東京事務局が協力するように指示した。事務局がホスバヤル君に連絡して、はじめて彼がひっそりと来日してたことがわかった。
　どうやら彼はピエロ役を演じさせられたらしい。前会長・副会長らの協会役員は27名いるそうだが、それがA派とB派とに分裂して協会の実権をめぐって争い合っていた。それで、A派が当て馬としてホスバヤル君に白羽の矢を立て、B派の票を分散させようと狙ったらしい。
　しかし、目論みは外れて、ホスバヤル君が最多票を得てしまった。やむなく、いったんはホスバヤル君を会長職に就けておいて、すぐさま、「新会長は選挙で最多票を得ていても、それは過半数に達していない」とクレームをつけ、再選挙を主張した。以下、詳細な経緯は省くが、けっきょく、ホソバヤル君は会長職を追われた。そして、ABの2派は相変わらず権力の掌握を争っているという。
　ホソバヤル君は怒りと失望と悔しさと、様々な感情が心を渦巻いただろう。これらの顛末を私やYBCの関係者に報告するのは、同国人たちの恥を曝すことにもなり、おそらく悶々としながらいたにちがいない。「谷沢さんにも合わせる顔がない」という気持ちが先立って、ひっそりと隠れるようにしていたようだ。
　ただホスバヤル君にも落ち度がないわけではない。彼自身が深く悔いているようにひじょうに幼稚なミスを犯した。思えば、野球をやることだけを考えて来日し、日本の生活に慣れることでせいいっぱいだった。だから、「モンゴルのおとなの世界のこともまったくわかっていなかった」（ホスバヤル君の言）のも無理はない。モンゴルは民主化したばかりの国である。純朴な青年が翻弄されるのは当然かも知れない。（そう言えば、私の同県人の元・代議士が背任横領容疑で逮捕されたが、彼も「モンゴルの金山開発に投資した」と述べているそうだ）
　今、彼は日本でこつこつと資金を蓄え、再びモンゴルに帰国して、両親の住む町（首都ウランバートルから400キロほど離れた鉱山の町だそうだ）で、少年野球チームを結成し、野球の普及をいちから始めようと決心している。
　他者の蓄えた冨を武力で収奪し続けたチンギス汗ではなく、自らの血と汗で礎を築くことを、ホスバヤル君に期待しているのが、私の偽らざる心境である。
      
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   <title>無料野球塾の親子野球クリニック</title>
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   <published>2010-07-29T08:41:14Z</published>
   <updated>2010-07-30T04:51:23Z</updated>
   
   <summary> 　7月26日、中野区第十中学校体育館で「親子クリニック」を実施した。親子ペアに...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
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   <category term="187" label="ティーボール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="185" label="ナガセケンコー社" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="183" label="親子野球クリニック" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="152" label="無料野球塾" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="153" label="野球教室" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="178" label="野球塾" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.yazawa2005.jp/">
      <![CDATA[<div class="centerimg"><img alt="親子野球クリニックin中野坂上" src="http://www.yazawa2005.jp/images/clinic100726_3.jpg" width="450" height="276" /></div>

　7月26日、中野区第十中学校体育館で「親子クリニック」を実施した。親子ペアに加えて、家族や＋友人も合わせて4グループの参加。会場へ18時半くらいに来て頂きたいと通知していたが、どなたも早めに来て会場正門で待機しておられた。これまでは野球教室
には、中日ドラゴンズか名球会のユニフォームを着ることが多かったが、この日は別だった。ある人が言うには、「谷沢さんがYBCフェニーズのユニフォーム姿で現れたとたん、皆さんの眼が大きく見開かれて、驚いたような緊張しているような感じでしたよ。あるいは、本当に無料で良いのだろうかと一瞬、とまどったのかもしれませんね」。
　すぐに、管理にあたる事務の方に許可証書類を提示し、体育館使用の注意事項などを説明をしていただいた。親切で丁寧な説明だった。
　今回の発想の原点はこうだ。日頃、近隣の中学校体育館では夜間にバレー、バスケ、卓球等のスポーツ活動が楽しく行なわれているのを見て、「野球塾も可能かなー」と思ったことである。YBCフェニーズが5月の千葉県予選で3連覇を飾った後、中野区役所の担当者に尋ねてみると、「中学校の副校長か校長に聞いて見て下さい。学校側が趣旨や目的を理解すれば使用できますよ」と回答してくれた。すぐに学校を訪ねた。
　最初は両先生とも不審な表情だったが、事情を説明したところ快く応対して頂いた。申請書類を提出してから10日余り、使用許可が下りた。NPO法人主催なので使用料は免除された（かりに使用料を払っても2千円ほどだが）。5月に申請、7月に開催というのは、特別扱いされたわけではない。YBCや私の活動について、行政当局にあれこれことおっしゃる向きもあると耳にするが、行政当局は市民に対して常に平等であるということを記しておきたい。

　終了後、受講者のＫ氏から次のようなメールが届いた。
☆谷沢健一様、運営事務局ご一同様。先日は無料親子野球クリニックに参加させていただきまして誠に有難うございました。帰宅すると家族皆起きていて待ち構えており、早速撮影したビデオの上映会と相成りました。 実は今回の参加については、谷沢健一という、まさにトップレベルの野球人の方が、果たして低学年のお子さんまで含めて、どれだけこちら側の目線で教えて頂けるものだろうかという不安も正直ありました。（持っている素質や、モチベーションも相当異なるでしょうから・・）しかしそんな心配は杞憂で、我々に目線を下げてフランクに接していただき、子供たちもにこやかに、リラックスして、のびのびと練習できていたように思います。 そして我々の側のレベルに合わせて的確な指導をしてくださり、さらには、参加者ひとりひとりに、じっくりと時間をかけて下さり、2時間で4人というのは、本当に望外の贅沢な時間でした。私たちが所属する野球チームでも、なかなかひとりひとりにこれだけの時間をかけて指導することはままならず、結果として、流してしまっていることがたくさんあります。ひとりひとりにきちんと向き合おうとされるその姿勢。この点についても自省させられました。（以下略）

　同じく受講者のＭ氏からも頂いた。
☆谷沢健一様　昨日は大変お世話になり本当にどうもありがとうございました。同僚のＡ氏からお噂はお聞きしていましたが、本当に気さくにまた熱心にご指導いただき感激でした。また息子も大変喜んでおり、当日実は熱があり、本人も出席させていただくか迷っていたのですが、いろいろと親切に教えていただき、帰りの車の中では元気に回復！野球ノート早速つけようと気合十分でした。親子ともども本当に楽しく、また貴重な体験をさせていただき、感謝の気持ちがうまく表現できません。本当にどうもありがとうございました。またもし許されれば、是非にも今後ともご指導いただければ幸甚に存じます。なお当日の写真を添付させていただきますので、ご査収願えればと存じます。まずは取り急ぎ御礼まで。


私も事前にそれぞれの方と、次のようなメールの交換を行ったので、一部紹介したい。

☆初めまして。息子は小学6年生で、Ｆ市の少年野球チームに所属しております。本人はずっと野球をやりたがっていたのですが、親の方が本当にやっていけるか心配で、実際に野球をやり始めたのは5年生の途中からで、すでに基礎練習は終わっており、試合主体の練習になってしまっておりました。私も野球は大好きなのですが、実際に本格的にやったことが無く、ちゃんと教えることができません（こんなに息子が野球が好きならば、もっと早くやらせてやればよかったと後悔しきりです）。そこで是非教えていただきたいのが、バッティングの基本です。息子は6年生にしては体も小さく、そこそこバットに当てるのは出来るようですが、遠くにパシッとしたあたりを飛ばすことができません。非力なのもあるとは思いますが、体重の乗せ方が上手くできていないのかと素人ながら考えます（最近は少し足を大きめに上げて、振り切るようにさせていますが、いかがなものか・・・）もし機会を与えていただけるならば、是非息子にコツを教えてやってほしいと存じます。よろしくお願いいたします。

その返信

☆申し込みを頂きありがとうございます。御子息の事情も良く理解しましたが、5年生で既に基礎練習が終わってしまうとは驚きですね。人数の多い少年野球チームは特に基礎を指導できる環境も作るべきと思いますが、どこへ行ってもそのような悩みを抱える保護者の方々から質問を受けたり致します。想い出すのは中日時代の大島選手です。彼が本格的に野球を始めたのは高校へ入ってからです。中学生の時は、バレーボール部だったと言っておりました。同時に野球も好きであったとは思いますが、他スポーツでバランスの良い身体も作られていたのでしょう。遅咲きの選手でしたが、2000本安打も達成しておりますからね。見えないところでの努力が成功に導いたのでは・・・。このような例からも、決して急ぐ必要はありません。

　以上のような野球クリニックだった。当日、<a href="http://www.nagase-kenko.com/">ナガセケンコー社</a>がティーボール用具を寄贈してくださった。感謝々々である。総合企画社の窪寺氏に手伝って頂いたし、CSプロ野球ニュースの武田氏にも取材して頂いた。両氏にも大いに感謝する次第である。

<div class="centerimg"><img alt="バッティング指導" src="http://www.yazawa2005.jp/images/clinic100726_1.jpg" width="450" height="325" /></div>
小学1年生へのバッティング指導
<div class="centerimg"><img alt="バッティング指導" src="http://www.yazawa2005.jp/images/clinic100726_2.jpg" width="450" height="298" /></div>
小学6年生へのバッティング指導

※この他写真もYBCホームページに近日中に掲載します。


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   <title>無料野球塾　愛知県犬山市のスポーツ少年団・補足</title>
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   <id>tag:www.yazawa2005.jp,2010://1.405</id>
   
   <published>2010-07-26T05:39:30Z</published>
   <updated>2010-07-27T08:44:09Z</updated>
   
   <summary>前回掲載について、経緯を補足しておきたい。 平松氏の初メール「お世話になります。...</summary>
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      <name>谷沢健一</name>
      <uri>ybc2005.jp</uri>
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   <category term="153" label="野球教室" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="178" label="野球塾" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.yazawa2005.jp/">
      <![CDATA[前回掲載について、経緯を補足しておきたい。

平松氏の初メール「お世話になります。愛知県ティーボール連盟副事務局長平松と申します。本年度、日本連盟総会時ご挨拶させて頂いたものです。いつも、ブログ楽しみに拝見させて頂いております。私事ですが、愛知県の犬山市という田舎町でスポ少軟式野球の指導をしております。5年生中心ですので最近は、ティーボールは少しご無沙汰しておりますが。5年生ともなりますと、チーム内では選手の差が若干出始めるころで戦術的な話や、基礎と指導法に少し悩みを感じている日々です。私自身も、プロ野球OBの指導者講習会等々出席してみたのですが直接、今の子供たちに噛み砕いて説明が難しかったのが現状です。愛知県の田舎ですので、大きな声で”お願いします”と申し上げにくいので近くで機会が有ればご相談させていただけると幸いです。恐縮ながら、思いきってご連絡してしまいすみません。宜しくお願い致します」。

 私の返信「勝手ながら、6日の予定を延期させて頂けないでしょうか。皆様方が楽しみにしているかと思いますが、体調を調整致しませんと却ってご迷惑を掛けてしまいます」

私の２信「7月18日（日）は如何ですか。おそらくスポーツ少年団の予定があるかと存じますが、私の名古屋での中継が19日の担当ですので経費も掛らないと踏んでいます」。

平松氏からの即座の回答「お世話に成ります。7月18日（日）日程確保出来ました。時間等につきましては、谷澤様のご都合で構いません。迎え等こちらで準備致しますので、お時間ご指示下さいませ。グランドにつきましては、前回はナイター設備のあるグランドを確保しておりましたが、今回は日も長く成って来ておりますので専用グランド（小学校）でのご指導をお願い致します。大変お忙し中遠方までのご指導大変恐縮ですが宜しくお願い申し上げます。天候が良いことを祈ってお待ちしております」。

私の3信「素晴らしい野球塾案内のパンフレットが作られましたね。皆さんがお待ちになっていたことが心に響きます。私は晴れ男を自称しておりますので、グランドで野球教室が行われると思いますよ。17時からスタートしましょう。当日、名古屋から犬山までは名鉄電車で移動いたします。途中連絡をしますので、犬山（柏森駅）でお待ち下さい。指導前・指導後の食事は気を遣わずにお願い致します。翌日は中継を控えていますので、帰りだけ車で送って頂ければ助かります」。

というような経緯である。こうした経緯で実現することに私は価値があると思っている。誰かが何もかも用意してくれることに慣れている人には面倒なことだろうが、このような「手作り」こそ私の願うところである。翌日、平松氏ご一家が参加者の皆さんを代表して挨拶に見えられたが、まだ感激の思いが残っているとおっしゃっていた。

 
＊無料野球塾は、写真やメールやＱ＆Ａについて公表する場合があることを、事前に受講者の了解を得ていますので、上記のやりとりを掲載したくなりました。重複する箇所もありますが実践した生の声が伝わってくるのではないかと思います。


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